駅弁の立ち売り


 その昔、普通列車での食事は多くの場合駅弁という時代がありました。長距離列車が着くと必ず弁当屋さんが駅弁をてんこ盛りにした肩掛け箱を持って「弁当〜、弁当〜」と呼ばわりながらホームを歩き、窓越しに売っている光景が各地で見られたものです。
 しかし、実は今駅弁は一時に比べるとかなり衰退しています。京王百貨店の駅弁フェアなんか見ているとそうでもなさそうですが、実際に日本全国を列車で走り回ると、昔なら必ずあったと思われるような大きめの駅にすらないことも多く、愕然とします。
 仮にあったとしてもこれが曲者で、今は長距離普通列車が極端に少ないため購買層が特急や新幹線にシフトしてしまっていて、売店が在来線ホームにないとか、あっても新幹線ホームの方が種類があるとか、非常に普通列車利用者には優しくない仕様になりつつあります(涙)。

 そんな中、首都圏にもかかわらず硬派に駅弁立ち売りにこだわっているのが、東北本線宇都宮駅です。
 この駅で駅弁立ち売りを残している大きな要因は、ここの駅が「日本で最初に駅弁を売った駅」の称号を持つからなんですね。実言うと異説がないわけではないのですが、現在よく知られている説では、日本鉄道時代の明治18(1885)年にたくあんつきのおにぎり2個を売ったのが駅弁の最古と言われています。今から考えると随分ささやかなものですが、「マッチ箱」とあだ名されるような狭苦しくて線路の振動が直接来るような客車でえっちらおっちらやって来た乗客にはそれでも喜ばれたことでしょう。
 当然115系が走っていた時にも、その光景が見られました。東北本線は運転系統が宇都宮で切られていたため、駅弁屋さんの活動の場は主に宇都宮始発黒磯行の列車相手で、いささか昔ながらの光景とは違う部分も多々ありましたが、黒磯直通の列車ではまさに昔ながらの駅弁立ち売りの光景が展開されました。
 以下では、上野から黒磯直通列車に乗った際の駅弁立ち売りの光景をお目にかけましょう。 

宇都宮駅での駅弁立ち売り

 基本形ですね、まさに。肩から箱をぶら下げて停まっている列車の横をこんな感じで行ったり来たり。「弁当〜、弁当〜」の呼び声もここでは健在です。
 この日は比較的ラフな格好のおじさんが2人売り歩いていましたが、過去にはいかにもお弁当屋さんな割烹着のおじさんが売りに来たこともあります。
 しかし箱の中に1,2,3、4……6個以上も積み上げて、重くないんですかおじさん(汗)。

窓売り
基本の形だが、あまり数は多くなかった

扉売り
115系の場合扉のところで呼ばれる場合が多かった

車外売り
中には車外へ出て買う人もいた

 黒磯行の直通は停車時間が長いので、乗客も余裕を持って買いに来ます。このため呼べばいろんなところで応じてもらえます。
 一番昔ながらのやり方は窓からなのですが、昔の客車のようにデッキがあって降りるのが面倒くさい、という車輛ではないので、結構窓から売るよりも扉のところでつかまえる人が多いですね。乗る前に買って行く人も多いようです。
 東北本線には昭和50年代頭まで東北方面への普通客車列車が残っていましたから、その時の光景は115系の頃よりもさらに風情があったんだろうなあ、と思わず夢想します。

立ち売り買いのお弁当
パックのお茶百円也(笑)


 実際に買うとこんな感じです。お弁当は鳥めしだったかな?結構、時刻表に載っていない駅弁もあるんですよね。
 注目すべきはやっぱりお茶でしょう(笑)。これ、一昔前は本当にどこでも売っていたんですけどねえ。ペットボトルの普及や自動販売機設置増の影響で絶滅危惧種です(涙)。
 ああ……あのキャップで飲むのがいいのに。ほっといとくと思いっきり苦くなっているのがいいのに。チープな針金の持ち手がいいのに……ぶつぶつ、ぶつぶつ。

 平成17年秋に115系が撤退したため、現在ではこの写真のような駅弁屋さんと115系のショットは見られなくなってしまいました。それどころか、クロスシートとのショット自体がもはや……(涙々)。今でもこの駅弁立ち売りは続いているそうですが、E321系に駅弁立ち売り、という光景を想像して、友人一同「うわ、似合わねぇなあ〜……」と渋面になったのは言うまでもありません。まあ、それだけE321系があまりに味も素っ気もなさすぎる証拠なのですが……。

 ちなみに東北本線に限らなければ、115系と駅弁売りのショットが見られる場所がまだ残っています。中央本線の大月駅です。ここでは土日や祝日に駅の売店の前でおばあちゃんが駅弁の出店を出しており、「弁当ぉ〜、お弁当ぉぉ〜」と独特の節回しで駅弁を売っています。ちょっと駅弁調達には始発駅から近すぎの感がありますが、実際のところここから先甲府くらいまで食事が調達出来ないので買って行く人は結構いるようです。

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