長期にわたる無断休止についてのお詫び
閲覧者様各位
掲示板投稿者様各位
相互リンク先管理者様各位
謹啓
三伏の候となりましたが、みなさまには暑気の中、いかがお過ごしでございましょうか。
さて、このたびこのような改まった文面をみなさまの眼前に上梓いたしましたのは、私が運営しておりますホームページ「Studio115」及び「狐の森」の長期間にわたる無断休止についてのお詫びと、事情説明にあがろうと思ったためであります。
みなさまもご存じの通り、この両ページは昨年春先より実質的に更新を停止し、附属する掲示板にもほとんど管理が行き届かない状態となっております。それだけでも不届きというべきでありますが、その上に何度か中途半端な状態であることを自覚せずに「復帰宣言」を行い、結果的に頓挫するなど、両ページをご覧いただいているみなさまや掲示板にご投稿いただいておりますみなさま、また相互リンクをさせていただいております管理者のみなさまを欺く事態となったばかりか、せっかくいただきましたページ移転のお知らせや相互リンクのお誘いにも全く返信を行わなくなるなど、非礼無礼の数々をはたらき、多大なるご迷惑をおかけいたしました。この場を借りて、深くお詫び申し上げます。
このような事態になりましたのは、すべて私が生来より抱えております「強迫性」と呼ばれる厄介な性癖を制禦しきれず、その果てに重篤な神経症を発症したためであり、まことに不徳の致すところであります。以下、その詳しい事情・経過につきまして、ご説明申し上げます。なんとも釈明がましい文章で、大変退屈とは存じますが、これほどまでの大休止を招いた以上、説明する義務があろうかと思いますので、お時間がございましたらどうぞご覧ください。なお、一部掲示板の書き込みと重複する部分がございますが、改めてすべて説明させて頂きますのでご了承ください。
*
そもそもの始まりは、3年前の春頃から、私があまりにインターネットや掲示板書き込みに夢中になってしまい、別の趣味をおろそかにしていることについて悩み始めたことや、ネット上の主に掲示板などで諸々の穏やかならざる現象(誹謗・中傷など)をいくつも眼にしたことで、ネット上や、ひいては現在の社会の病理に思いを馳せて思い苦しむようになり、生来の強迫性を亢進させてしまったことにあります。それに加え、その年の秋には自分の常駐している掲示板でひょんなことからトラブルに巻きこまれて、手ひどい精神的打撃を被ることとなってしまい、さらに精神状態が悪化しました。
私としてもこのような心身ともに不健全な状態でこの新境地に参加することは不本意きわまりないことであったため、何度も「自分」と「インターネット」の間の心理的距離を調整し、健全な方向へ持って行こうと誠心誠意努力しようとしたのですが、結果的にその後2年間あまり引きずり続けてしまいました。そのあたりの私の愚にもつかぬ愚痴めいた心情吐露は、何度かここの掲示板やおつき合いさせていただいているサイトの掲示板で書き込んでおりますので、ご存知の方もいらっしゃろうかと思います。
そしてさらに悪いことに、そこに私が高校時代以来抱いてきた「現代」という時代への嫌悪感や疑問が拍車をかける形となりました。これらのテーマについては以前からことあるごとに考えてきたのですが、おりから悩みの対象となっていた「インターネット」というものとかぶるテーマであることから、急激に思考する頻度が高くなるようになりました。2年前の秋頃には本格的にひどくなり、本来リラックスするはずの旅行先でまで常にこれらのことについて考え続けるなど、いつしか自分の思考能力を限界を超えて酷使するようになって行きました。
その結果、起こったのが思考力と記憶力の低下や日常生活の惰性化でした。それまで(まことに不遜な言い方ですが)頭や几帳面さという点で自信のあった私にとっては、これは衝撃以外の何ものでもありませんでした。いくら論理を組み立てようとしても、何か足りないような気がして同じ言葉を何度も頭の中で繰り返さないと気が済まなくなる状態が日常的に続き、一体自分はどうしてしまったのか、ぼけてしまったのか、治ったとして前のようにうまく働くようになるのかと、不安で完全に混乱状態でした。そこに来て、うちで長く飼っているインコが事故で瀕死となり、命は救われたものの後遺症からたびたび痙攣を起こすようになったことや、私が常に動向を気にかけていた115系電車の湘南新宿ラインからの撤退が噂されたことなどで、さらに私の心は不安に晒されるようになりました。その結果、撤退の噂があった昨年3月21日頃、115系電車の撮影を新宿駅・池袋駅で行っている最中、それらの不安がついに爆発し、生涯初めてのパニック障害を発症しました。「パニック障害」とは、多くいわれのない不安感・焦燥感の亢進により心身が暴走状態に陥り、器質的障害がないにもかかわらず動悸・息切れ・胸痛・めまい・発汗などの急性の体調不良を起こす現象で、ひどくなると足がわななき、立っていられなくなることもあるものです。この時の発作は軽いもので、家庭の悩みなどを聞いてもらうため以前よりかかっていたカウンセラーの先生が、有給を取っていたところをわざわざ診療所に頼みこんで呼び出してもらい、電話で話を聞いてもらうことで一旦収まったのですが、それでも直後の旅行の初日まで引きずる結果となりました。
**
それ以後しばらくの間は特に何もなかったのですが、6月に入って、意外なところからこのパニック障害が再来することとなりました。「睡眠中に突然死するのではないか」という強迫観念にとりつかれたのです。恐らく多くの方はそんなことがあるのか、と首を傾げられることと思いますが、「ポックリ病」「青少年突然死症候群」などと称しまして、原因不明の心不全で死亡する20代の人が実際におられるのです。また、それでなくとも、くも膜下出血など突然死につながる病気が20代でも発生しています。
これらの話は随分以前から聞き及んでいて、その話を聞くたびに怖くなって眠れなくなったりしたのですが、いずれも一時的なもので、1週間もするとすっかり忘れてけろりとしていました。しかし、今回のものは全く様相が異なりました。忘れてしまうどころか、心にがっちりとしみついて離れなくなってしまい、夜が近づくたびに猛烈な不安感に襲われるようになりました。その不安を解決しようと、夜な夜な様々な医学系サイトをめぐったのですが、胡乱な内容のものや奥歯に物のはさまったような言い方をするサイトが多く(これには先の「ポックリ病」「青少年突然死症候群」が「除外病名」=「理由不明の病死をひとまとめにした病名」であることが大きく関わっています。よく分からないものやデータが不足しているものについて断言することは差し控えるのが普通ですから)、不安が増大しました。それでも「ポックリ病」「青少年突然死症候群」がどうやら「ブルガダ症候群」「Q−T延長症候群」「WPM症候群」と呼ばれる遺伝病によるものであることや、20代のくも膜下出血の大半が脳血管の先天的畸形によるものであり、また脳動脈瘤は遺伝性である、といったかなり有力な情報を得たのですが、今度は自分がそれに該当しはしないかと不安になる始末で、6月中頃にはついにまんじりとも出来なくなりました。しかもくも膜下出血の前触れとして「首の違和感」があるという知識があったため、盆の窪の辺りに常に違和感があるような気がして、まるで膨らみ続ける風船がはち切れるのを耳を押さえておびえる子供のように、うなじのところをかきむしっては時に言葉にならないようなうめき声を上げることも多々ありました。そしてついに6月25日早朝、寝床で2回目にして最大のパニック障害発作を起こしました。
これにはさすがに私も自分の精神の危機を感じ、近くの精神科のある病院に駆け込みました。しかし受付時間外であったため、区の西側にある心療内科を紹介され、矢も楯もたまらず西武線でその病院まで行きました。そして出た診断結果が、「神経症性鬱(※註参照)によるパニック発作」だったのです。
……正直、この診断を聞いた時、薄々気づいていたとはいえショックでした。私もいろんなサイトをめぐるうち、多くの人がこのパニック障害を経験し、薬物療法を受けていることや、何度も発作を起こして苦しんでいる人がいることはよく知っていましたが、まさか自分がそうなってしまうとは……そんな気持ちで一杯でした。結果、私も薬物療法ということになり、抗不安薬(ベンゾシアゾピン系製剤)「レキソタン」2mg錠1錠を食後3回、抗鬱剤(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)「ルボックス」25mg錠1錠を夕食後1回、抗不安薬(チエノジアゼピン系製剤)「リーゼ」5mg錠1錠を就寝前に1回飲むこととなりました(この他一度眠剤も処方されたのですが、体質が合わず中止となりました)。
※註……「神経症性鬱」という病名について
恐らく耳慣れない病名だと思いますが、これは現在巷間で言われている「鬱病」のことです。ただし、医学的にはこの用法は間違いです。本来の「鬱病」は完全な精神病で、その症状もパニック障害などというものではなく、「押さえつけたり薬で寝かせたりしておかないと、ベッドから飛び出して窓から飛び降りかねないくらい猛烈」なのだそうです。その「薬」も「メジャートランキナイザー」と呼ばれる強力な抗不安薬で、「普通の人が飲んだら三日三晩は寝続けるくらい強力」だという話です(以上かかりつけのカウンセラーの先生談。臨床経験もかなりある方なのでこの辺は信用出来ます)。それに大体にして「精神病」と「神経症」はまったく病態が違いますから(これもよく混同されていますが……)、その辺をきっちり線引きしておく必要があるのです。そのような理由から、ここでは正式に近い術語を用いました。
このように薬まであおる事態になったわけですが、その後不安を取り除くために脳ドックなどを受けたことにより、徐々に不安が解消されて行き、どうにか「突然死」の不安からは逃れることが出来ました(それでも3回ほど発作が起こりましたが……)。実はそのことが8月の「復活宣言」を呼んだのです。言いわけがましいですが、あの時はこれから充分休養を取って、早いところ治してやろうという気持ちがあったのです。
しかし、周囲の状況がそれを許してくれませんでした。9月末に大学院の入試があったので、夏休みの後半をその勉強で潰さざるを得なくなり、休養どころの騒ぎではなくなってしまったのです。もっともこれは分かっていたことですから仕方ないのですが、問題はその後です。私は以前からとある出版プロダクションで鉄道関係の本を毎年作るお手伝いをさせていただいており、今回は私が頭目となってやることになっていたのですが、フォローしてくれるはずの上司の方が別の仕事にかかりっきりになってしまい、過剰な負担が私にのしかかる羽目になったのです。このため私は昨年10月から今年の4月頭の丸半年仕事に追われ続け、再校(2回目の校正刷りの確認作業)の時には危うく発狂しかけました(あながち譬喩表現ではないと思います。その時には大声で笑い出したりするなど、実際狂気のすぐそばまで行っていたとしか思えないような行動をとっていましたから)。当然、気の休まる暇などありません。暇があっても精神的に常に不安定で、ネット上に復活するどころではなく、結果的に「復活宣言」は宣言倒れとなってしまったわけです。
そしてこの間、ずるずると更新をしないまま月日が経ち、現在のような1年半にわたる無断休止状態が発生したのです。
***
現在、私は相変わらず先ほどの薬を飲み続け、依然として心療内科にかかっております。本当なら休養したいのですが、大学院の授業が週4日、さらに1日バイトが入って休みは土日だけです。その土日も不安定な状態であることが多く、強迫的な行動をとって無駄にすることが多くなり、とても休養らしい休養がとれないままでした。しかも新しい環境への適応や、友人が肉体的・精神的に不安定な状態で授業に出ていることなどにあてられてしまい、精神的疲労もかなりたまっています。
しかし、ようやくその大学院の授業も今月の2週目で終わりとなります。その後はバイトの方で休みを長く取れさえすれば、日を惜しまずいくらでも休むことが出来ます。そのようなことを踏まえまして、改めて無断休止の無礼をお詫びするとともに、本格的な復帰へ向けて一歩を踏み出そうとしている旨をお伝えしようと思ったのです。
もっとも、復帰と申しましても、神経症性鬱は1年服薬してもまだ完治していないことからも明らかなように非常に気長な治療が必要で、はっきり言って先が見えない状況です。しかも院卒業後の進路もまだ決まりませんし、その上に来て来年うちの両親が今の家を売って多摩の方へ引っ込むなどと言い出しており、休養がとれても内憂外患にさいなまれる状況は変わりません。そのため、「復帰」といってもにわかに出来るとは限りませんし、去年のように失敗する可能性もあります。でも、来年卒業することを考えると、ここである程度いい状態に持って行かないとまずい状況なのも事実なので、出来るだけよい状況に持って行き、少しずつページの更新やみなさまとのおつき合いについても再開出来たらいいと思っております。
最後に、この言いわけめいた乱文をここまでお読み下さった方に感謝を申し上げるとともに、改めて長期にわたる無断休止について深いお詫びを申し上げます。
頓首
平成15年7月7日
「Studio115」管理人 苫澤正樹
「狐の森」管理人 愛宕の山
Copyright(C) Masaki Tomasawa.