※このSSは、Purple software(パープルソフトウェア)のPCゲーム「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」及び同ソフトのファンディスク「はぴぶりファンディスク」を基としています。
※両者のねたばれを含みますので、両方とも未プレイの方だけでなく「はぴぶりファンディスク」のみ未プレイの方も充分にご注意ください。
1
「え?ひびきさんが、おかしいって……?」
僕は思わず眼が点になってしまった。
急にチョコに袖を引っ張られて、居間に引きずり込まれたと思ったら、いきなりその言葉が飛んで来たのだ。
「そうなんだよ。最近気づいたんだけど、ヒビキの部屋から何かを研ぐような音や、固いものをたたいたりするような変な音がするんだよ」
僕と同じように召集されたのだろう、出かけているおねーさんと当事者のひびきさんを除く全員がそろう中、チョコは重々しく言い出した。
「だってさ、ホノカとか気づかない?すぐ裏なんだよ?」
「いや、そう言われても……アタシは読書し始めちゃうとあんまり周りの音とか気にしないし」
困ったように言うほのかサンに、チョコはむう、とした顔つきになる。
「……タカシやサツキやユキノは?」
「……いや、聞いたことないよ」
「同じくです。あまり部屋にいないので……」
「あうー、あうあうあうー……あうっ、あうあうあうー」
「『私もあまりいませんから……それ以前に、位置的に聞こえないと思います』だそうです」
はかばかしくない答えに、チョコはむむう、と口をとんがらせた。
「というより、チョコちゃん……こう言ったら悪いけど、あの子、魔女の魔力恢復のために、いろいろやってるんでしょ?だったら少々変わった音がしてもおかしくないと思うけど」
「何せ、生薬から自家製剤してしまう人ですもんね……『魔法薬に薬事法は関係ありません』とか言って」
ほのかサンの言う通り、ひびきさんはここに同居するようになって以来、ずっとおねーさんの魔力恢復のためにあの手この手を尽くしている。
本当は魔界で寝るのが一番らしいんだけど、帰れない以上無理な相談だから、と薬を飲ませたり、魔術を使えるようにリハビリにつき合ったりしているのだ。
特に薬は薬研でごりごりやってるのを見たことがあるから、その手の音がしても別に不自然でないといえばない。
そう言われたチョコは、むむむう、とふくれると、
「ホノカの言うことももっともだけどさ、それにしたって説明出来ないことがあるんだよ」
眉間にしわを寄せながら語り始めた。
「ボク、見ちゃったんだ……ヒビキが金鎚持って部屋に入って行くの」
「金鎚?」
「そう、下駄箱に入ってる玄翁(げんのう)だよ」
そういえば、玄関に備えつけの工具箱に、玄翁とハンマーが1本ずつ入ってたな。
「もし薬とか作ってるんなら、玄翁なんていらないじゃないか。変だよ、絶対変だよ」
「まあ、確かにね……」
生薬の中には固いものや鉱物性のものもないわけじゃないけど、いくら富山が「薬都」でも、そんなのが丸ごと売っているわけもないだろうし。
そんなことを思っている間にも、チョコの考えはどんどん怖い方向へ暴走して行く。
「きっと、あの張り扇だよ……あの張り扇を、あの玄翁で鍛えてるんだ。そして『今宵もこの張り扇が悪を斬れと言っています』とか言って、しゃーこ、しゃーこと砥石で研いでるんだ……きっとそうだ、そうなんだー!」
某動物コメディ漫画のらっこ張りにたくましい想像をして、滂沱の涙を流すチョコに、
「こらこら、おかしなこと言わないの!」
さすがにほのかサンが横合いから叱りつける。
「あううううう……」
「いえ、雪乃さん、今のはチョコさんの個人的な想像ですから、まともに怖がらなくても」
こっちはこっちで真に受けた雪乃がぶるぶる震えるのを、皐槻ちゃんが一生懸命なだめている。
チョコさあ、「必殺仕事人」シリーズじゃないんだから。いやそれ以前に、「張り扇をたたいて鍛える」という発想に突っ込むべきか。
「そこまで言うんならさ、ひびきさんに直接訊けばいいんじゃないか?ひびきさんの性格上、人に言えない目的で使っているとは思えないし、教えてくれるんじゃない?」
「で、でも……」
まださっきの想像の余韻が残っているのか、ためらうチョコを、
「ほらほら、そこで変にためらわない。さっさと訊いちゃえばいいの。ほら、行きましょ行きましょ」
ほのかサンが有無を言わせぬ早口で促し、「鶴の一声」と言わんばかりに立たせて居間の外へ押し出す。
最初はチョコももがいていたけど、ほのかサンの押しに負けたか、不承不承に居間を出た。
うーん、ちょっと強引だけど、こういう光景を見るとほのかサンがこの4人の中では一番のお姉さんというか、リーダー役なんだなあ、と思う。
チョコとほのかサンを先頭に、階段を上った僕らは、ひびきさんの部屋の扉の前に立つ。
――こつっ、こりこりっ、しゃっしゃっしゃっ……。
扉の奥から響く小さな音に、チョコがまた想像を変な方向にたくましくしたらしく、漫画のように左足を軸に180度反転して逃げ出そうとする。
その両肩をつかんでさらに180度反転、つまり元の向きに戻すほのかサン。コントじゃないんだから……。
「ひびきさん、ちょっといいかな?」
とりあえずこのままだときりがないので、僕が扉をノックして声をかける。
「……あ、ちょっとお待ちください。今、開けますから」
すぐに返事が返り、立ち上がる音がする。
「高志さま、どうなさいました……と、みなさま、おそろいでしたか」
僕だけだと思っていたのだろう、ひょいと顔を出したひびきさんは、見回すやきょとん、とした顔になった。
ところが次の瞬間、
「ひいっ……」
チョコがおびえた声を上げた。
その視線の先を追うと、そこには革紐で中ほどをぐるぐる巻きにしたたがねのような刃物が黒光りしていた。
再度反転して逃げ出そうとしたチョコと、それを止めるほのかサンの姿に、ひびきさんはぽかんとしていたが、
「あっ、申しわけありません……うっかり、印刀(いんとう)を人に向けたまま出てしまいました」
右手の中を見てあわてたように指を動かし、刃物をくるりと上下転倒させて自分の方に向ける。
「イ、イントウ……?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でそう反芻するチョコ。
僕も初耳の単語だったし、みんなも同じらしく、今度は僕らの方がぽかんとしてしまった。
いや、一人だけ、反応した人物がいた。
「印刀?……ひびきちゃん、もしかして篆刻(てんこく)やってるの?」
琴芝家の頭脳として、ひびきさんと肩を並べるほのかサンである。
「ええ。ご存知でしたか」
「まあね。道具とか、やり方とか、ちょっと知ってる程度だけど」
2人でどんどん話を進めそうになるのに、
「ね、ねえ……テンコク、って何?」
チョコが割り込む。
「ああ、申しわけありません。説明がいりますね。……せっかくですから、こちらに入って現物をご覧になってください」
そう言うと、ひびきさんは僕たちを部屋へ招き入れた。
入ってみると、文机の上に直方体の木の箱があり、そこから緑色の石が生えている。
いや、よく見てみると木の箱はくさびで構成されていて、石がそのくさびで固定されているようだ。
「……篆刻というのは、簡単に言えば石の印、はんこを彫る芸術です。こうして『印台』と呼ばれる台に鏡文字を書いた石を固定して、この『印刀』という特殊な彫刻刀で彫って行きます」
全員が何とか座ったところで、ひびきさんが説明を始める。
「はんこ彫り?何でそれが芸術ってことに……」
「その理由を語るためには、中国は唐の時代、文人の間で古い印が鑑賞され、美術的に論じられ始めたことから説明する必要があります。この時代やそれ以前の印は、『官印』といって国から役所や役人に支給される部署・身分の証明印や、『鑑蔵印』といって美術品を鑑定した人や所蔵者の印など、基本的に実用印しかありませんでした。それが、美術品として少しずつ価値を認められ始めたのですよ」
これがさらに変わるのが、次の次の時代である北宋の時代だ、とひびきさんは語った。
「北宋の時代には、国全体が骨董趣味といいますか、とにかく古美術品を研究するのが大いに流行しました。その結果、文人たちも印を鑑賞・蒐集・研究するようになり、自分でもそれにならってオリジナルの印を持つようになりました」
「じゃあ、芸術になったのはそこから?」
「……ではないんですね、残念ながら。『印をデザインすること』自体はここで芸術として確立しましたが、『印を手彫りする』ことはそもそも行われていませんでした。というのも、当時はまだ、印は金属、象牙や犀の角、木のような固いか扱いづらい材質で作るしか方法がなく、専門の職人さんにしか彫ることが出来なかったんですよ。ですから、文人たちは文字をデザインだけして彫り屋さんにまかせるのが一般的でした。唯一、米元章(べいげんしょう)という有名な書家にして鑑定家だった方が、果敢にも手彫りに挑戦していますが、完全自己流でまだまだ現在のような篆刻には遠いものがありました。それに、彼の後に続く人も、理論を説く人はいましたが彫る人はなかなか現れませんでしたし」
「そりゃね、そんな聞くからに彫りづらそうな材質じゃ、二の足も踏むよねえ」
僕がそう言うと、ひびきさんはぴんと人差し指を立て、
「そこです。その材質の問題が偶然解決を見たことにより、本格的に『印を手彫りする』ことが行われ始め、今のような『篆刻』が起こったんですよ。元代末、14世紀に王冕(おうべん)という画家が『花乳石』――現在では『青田石』(せいでんせき)と呼びますが――という柔らかい石を発見しましてね。この時はまだ一般化しなかったんですが、明代中期、16世紀に文彭(ぶんぽう)という篆刻家が『凍石』というこれも彫れる石を発見してから、石で印を作るのが一般的になって行ったんですよ」
そう言いながら、後ろにあった箱から緑色の石と白くて透明な石を取り出した。
「この緑のが青田石です。初心者向けといわれますが、私が思うにはどのレヴェルの人でも使える石かと。……あと、この白いのが凍石ですね。これは単独だとけっこう固い石で、上級者向けです。他の石の中に塊で混ざったりするんですが、そうなるとその石全体が一気に固くなるという曲者です。見た目は、とてもきれいなんですが」
さらに文彭の功績は、石を発見したことだけではない、とひびきさんは語る。
「この人以前の篆刻家は、趣味で作っていたといっても結局は自分の名前や号を彫っていたわけで、実用印にちょっと趣味入ったくらいのものだったんですよ。ところが、この人はそれだけでなく、古典の文句や故事成語を彫ったんです。つまり、篆刻を実用から引きはがして、一つの芸術にしたのですよ」
「なるほど……実用ではない、つまり印を彫ること自体が芸術になったわけだ」
「その通り。その後、清の時代に大流行りしまして、日本にもその少し前に入って来て流行、和漢通じて文人のたしなみのようなものになったんですよ。今もやっている人は多くありませんが、書道の分野として一分野を形成しています」
「え、書道!?石を刻むのに、ですか?」
と、これは皐槻ちゃん。
「あー……普通はそう思われますよね。でも、書道なんですよ。紙に書く書道では、半紙に筆を使い、実用の文字ではなく作品として文字を書きますね。この通常の書道の半紙を石、筆を印刀に置き換えれば、書道だというゆえんが分かると思います。結局道具が違うだけで、概念が一緒だから、というわけです」
「なるほど……その発想はありませんでした。石の上に、刀で文字を『書く』ということなんですね」
皐槻ちゃんがそううなずいていると、不意にチョコが、
「あ、そうだ。ヒビキ、篆刻は結局はんこを作るんだよね?どこで、金鎚を使うの?」
そんな疑問を投げて来た。
そういえば、最初ここに来た目的はそれを訊くことだったな。
「え、金鎚、ですか?なぜいきなり?」
突然脈絡のない質問をされて戸惑うひびきさんに、僕はことの次第を話した。
「ああ、そうでしたか……申しわけありません、一言声をおかけすれば、そのような騒ぎにはならないですみましたものを」
「いや、構わないよ。下駄箱の工具は、みんな勝手に使っていいものだし。で、何でまた?」
「それはですね、印の仕上げに使うんですよ」
「仕上げ……?」
みんなが疑問符を浮かべる中、ひびきさんは手文庫から印の押された2枚の半紙と1本の印を取り出した。
「まずこれが、一旦完成した印を押したものです。こういう印を押した結果を『印影』といいます」
そこには、篆書体で赤く浮き彫りになった印が押されている。
「きれいだね……中の文字も、枠にも一切欠けがない。やっぱり慣れているんだ」
僕がそうほめると、ひびきさんは、
「いえ、これでは駄目なんですよ。確かにきれいに作るのも大切なことですが、それだけでは実用印を作る『はんこ屋』と変わりません」
首を横に振ってみせる。
「篆刻家は芸術作品として印を作りますので、芸術としての演出が必要なんです。先ほど、篆刻は古い時代の印の鑑賞に起源があると言いましたね。印を長く使い込んだり、使わないまま何十年も何百年もほったらかしにしたらどうなると思います?」
「うーん……そりゃ、押しすぎとか錆とかで、欠けたりうまく押せなくなったりなっちゃうんじゃないかな」
「それですよ。古い印というのは、例外なくどこか印影に異常があるんです。古い印を模範にして成立した関係上、篆刻では『古く見せる』ことを演出として用いることになります」
そう言うと、ひびきさんはもう1枚の紙を差し出した。
「どうですか。枠が潰れたり欠けたりして、何十年も使い込んだようでしょう」
「言われてみれば確かに……」
「これで、本当の完成になります。それで、完成品がこれですね」
そう言うと、ひびきさんは印台から今彫っている石を外し、その印を固定した。
「わ、ふちがぼこぼこ」
「さっきの枠の潰れや欠けは、これによります。このぼこぼこを創り出すための『撃辺』(げきへん)という作業に、金鎚がいるんですよ」
「なるほど、金鎚でたたいて削るわけだ」
「そうです。印刀のお尻を使ってひっぱたく人もいますが、手軽な代わりに不自然になることもあります」
「いやー……想像も出来なかったよ。ふちを壊すのが仕上げで、それに必要なのが金鎚だなんて……」
びっくりしすぎてうまく言葉にならない、という風情で肩をすくめるチョコに、
「いえいえ、しかたありませんよ。何せ、私が篆刻をやっていることすら、お教えしていなかったのですから」
ひびきさんは手を振って答える。
「しかし、こういう石はどこで買うの?普通のお店では売ってないよね」
文房具屋かとも思ったけど、こんな石が売られていたのは見たことがない。
「ええ、書道専門店でないと……幸い、中央通りにそういうお店があるので、そこで大量に仕入れますね、私は」
「専門店か。そういえば、小学生の頃、墨を買いに母さんと行ったことがあるなあ。それで青墨買いそうになって、店の人があわててたの憶えてるよ」
「……小学生が青墨で『そら』とか書いてたら怖いですよ。しかも大抵は松煙墨(しょうえんぼく、松を燃やした煤を使って作る墨)だから高いでしょうに」
「そういうひびきさんは、どんな墨使ってるの?」
「あ、私はごく普通の安い油煙墨(油を燃やした煤を使って作る墨)で……」
そんな感じで、僕らは気の済むまで篆刻用品やら書道用品やらについて、ひびきさんと語り合ったのだった。
「ありがとうございましたー」
店員さんの声に送られ、私が通いつけの書道用品店「小牧書道店」を出たのは、いつもより早い時間でした。
本当なら、ここのご店主とお話をするところなのですが、あいにく用でご不在とか。
まあ、時にはこういうこともありますよね。
「巴林石(ぱりんせき)を、どう使いましょうか。高い石ですから、いい言葉を彫りたいですね」
篆刻の石にも上下があり、一番安いのが寿山石(じゅざんせき)、次が青田石、巴林石と続き、上は果てがありません。
巴林石はここ近年広く出回るようになった石ですが、どこでも高めの値段で取引されています。
今回、1本奮発して買った巴林石を手に取って見ながら、そう私がつぶやいていると、前方から、わあわあと騒ぎながら一群の高校生とおぼしき学生の集団がやって来ました。
……嫌ですね。じじむさい言い方ですが、最近の若い人は品性がない人が多いです。富山の学生がみなそういうわけではありませんがね。
なるべく近づかないように、私が道の左側に寄ろうとした時です。
急に彼らの中の一人が、ふざけてこちら側に飛び出しました。
とは言っても完全に飛び出したわけではなく、集団の中の一人に首根っこをつかまれて引き戻されたのですが、そのまま飛び込んで来ると思った私は、大あわてで北陸銀行本店の前にある広場に走り込みました。
しかし次の瞬間、どすうん、と大きな音がして誰かとぶつかり、広場に倒れ込んでしまったのです。
「だ、大丈夫ですか!?」
正面衝突ではなかったのでしょう、躰の左を下にして倒れた私に、男性の声が飛んで来ました。
「な、何とか……これでも、頑丈なので」
「す、すみません……あの学生連中をよけようとここにとっさに飛び込んだら、前からぶつかってしまって」
どうやら、相手の方は向こうから歩いて来て、私と同じようなよけ方をしたようです。そのせいで、私と偶然ぶつかってしまった、というところでしょうか。
「立てますか?」
「ええ、何とか……少し、打撲気味ですが」
そう言いながら、痛む左半身を押さえて立ち上がった時でした。
「あッ……それ」
唐突に、相手の男性が私の手許を見て大声を上げました。
何かと思って見てみると、
「………!!」
そこには、真っ二つに折れて崩れた巴林石が、無惨な姿をさらしていたのです。
そういえば……さっき、手に持ったままでした!
「これは、申しわけありません。弁償させていただきますから」
そう言って弁償を申し出る男性。
「いえ、そんな……悪いのは、往来であんな馬鹿騒ぎをしていた学生じゃありませんか。ある意味同じ被害者なのに、そんなことをしていただいては」
この方だって偶然転倒しなかっただけで、一歩間違えば私と同じ目に遭っていたかも知れません。
それに、数百円のもので見ず知らずの方のお手を煩わせては……。
「そういう問題じゃあないですよ。誰が悪いにせよ、ぶつかって壊したのは俺なんですから、弁償の義務は俺にあります」
「そ、そうですか……。でも、これはとても特殊な石でして」
あくまで弁償をするという男性に、逃げ口上としてそう言ったのですが、
「あ、巴林石でしょう?」
何と、あっさりとこともなげに言われてしまいました。
この方、篆刻をなさるのでしょうか?普通の人なら、石の名前すら知らないはずなのに。
「それなら大丈夫ですよ。俺の叔父貴が、書道店やっていますから……そこで、弁償させていただきます。受けて下さいますね?」
そう言って、歩き出そうとする男性。
「そうまでおっしゃるのでしたら……お言葉に甘えさせていただきます」
ついに私も観念して、男性の後をついて行くことにしました。
しかしこれ、私が今来た道なんですが……。
まさか、そう思っていると、
「さあ、ここです」
果たして、そこにあったのはさっき私が石を買ったばかりの「小牧書道店」でした。
「ええっ……小牧さまの、ご親戚だったんですか!?」
意外な展開に、思わず私は外では使用を自粛している「〜さま」表現で叫んでしまいました。
しかし男性は、そんなことは気に留めず、
「ありゃ、叔父貴のご常連でしたか。まあ、俺は普段奥に引っ込んでいるので、顔を知らなくてもしかたないですね」
そう言いながら入口の硝子戸をくぐります。
「ただいまー」
「あ、若先生、おかえりなさい……って、主計(かずえ)さん、何で一緒に?」
驚く店員さんに、男性は、
「叔父貴、いるかな。……それとさ、『若先生』はやめてくれよ。普通に本名の『貢』(みつぐ)でいいから」
そう言うと、店の奥の座敷をのぞき込みます。
「おーい、叔父貴。ちょいと、頼みがあるんだけど」
そう呼びかけると、奥からがたがたと音がして、
「何や、貢か。どないしたんや」
関西弁とともに、のっそりとご主人の小牧平六さまが姿を現しました。
「実は……」
小牧さまにことの次第を話し、自分が金を出すから巴林石を1本あげてくれ、と言う貢さま。
「主計はん、そら災難やったなあ……ほな、好きな石を選んでくだはれ」
そう言う小牧さまの言葉に、私はゆっくりと石を選び始めます。
今回の仕入れではいい石がそろった、と店員さんが言っていたくらいなので、比較的簡単に代わりの石が見つかりました。
「それでは、これで」
「分かりました。ええと、うちは消費税どうしてたっけ?」
「もろうとらん。それは……8分角か?700円やな」
「分かった。んじゃ、レジ打っとくわ」
そう言うと、古めかしいレジを打って、千円札と300円を交換する貢さま。
その横で、小牧さまがていねいに石を半紙で巻いてくれています。
それを見ていて、ふと大切なことを思い出した私は、
「あっ、そうでした……さっきは小牧さんがいらっしゃらなかったので、忘れていたんですが」
懐の奥にしまい込んでいた包みを取り出します。
「何や、作品かな?」
「ええ。今回初めて呉昌碩(ごしょうせき)の手法を真似てみたので、是非見ていただきたくて」
「ほな、見せてもらいまひょか」
そう言うと、小牧さまは巴林石の包みと引き替えに、私の作品と印を押した半紙を受け取ります。
実は小牧さまは、「雲洲」(うんしゅう)という号を持つ立派な篆刻家で、本来なら弟子を取れるほどの手練(てだれ)の方なのです。
指導してもらえる方がいない私にとって、このような方がお知り合いにいるのは心強いことです。
「ふーむ……」
半紙の印影を見るや、小牧さまは難しい顔つきになりました。
「どうですか?」
「うーん、いわゆる『呉臭』(ごしゅう)はないんですがな。ただ、線がしゃっちょこばっとります」
「そうですか……」
呉昌碩は清末から民国初期の篆刻家で、この世界で天才的な才能を発揮した人物なのですが、篆書の彫り方が極めて独特で、下手な人が形だけ真似をすると「呉臭がする」などと言われて馬鹿にされるという、何かと癖の強い方なのです。
やはりまだ、私の腕ではその癖を表現し切れていないようですね。
その時、横合いからそれを見ていた貢さまが、
「同意見ですね。『呉臭』と言われるまい、言われるまいと変に意識しすぎているような気がします」
急に口を出して来ました。
「特にその気が見られるのが、この『中』の字。こういう布字(字を印面に配置すること)をするんなら、中棒はすうっ、と引くように自然に伸ばした方がいいでしょう」
「なるほど……肩に力が入りすぎ、というわけですね」
「まあとかく、呉翁は難しいですからね。まずは模刻(真似をして彫ること)からしてみた方が……」
と、そこまで言いかけて、貢さまはいきなり口をつぐみ、ひとつかぶりを振ると、
「ああ、いけねえ。こっち方面には口出ししないつもりでいたのに、ついつい昔の癖が……」
そう言って、不愉快そうに眉をひそめました。
そして、小牧さまが、
「おい、そこまでアドバイスしといて、中途半端で済ますのはないやろ」
そう言って途中で指導を投げ出したことを批難するのに、
「叔父貴、大丈夫だよ……一応、さっきので俺が思ったことは全てだから。……じゃあ主計さん、俺は失礼します」
なだめるようにそう言うと、あいさつをしてそそくさと奥に入ってしまったのです。
とんとんとん、と階段を上がる音がする中、しばし気まずい沈黙が流れました。
「……まったく、あいつは。すみませんなあ、うちの甥が失礼なことしよりましてからに」
その沈黙を破ったのは、小牧さまでした。
口では怒っているようなのですが、顔は何というのか、困惑とも悲しみとも取れるような表情です。
そのあまりにも複雑な表情に、
「いえ、参考になりましたし……それより、何かおありなのですか?」
失礼と思いつつ、私は貢さまのことを訊いてしまっていました。
「う……はあ、あんなところ見られはったら、そら訊きたくもなりますわな。まあ、主計はんはうちの常連やし、話してもええかな」
そう言うと、小牧さまは他にお客さんがいないのを確認すると、静かに事情を語り始めました。
それによると……。
貢さまは、実は「横芝幽碩」(よこしばゆうせき)という号を持った、れっきとした篆刻家なのだそうです。
それも、若い頃からここ富山の書道教室で通常の書道やペンを習っており、漢字・かな・ペンなど主要な書道の分野はすべて教えられる才能の持ち主なのだとか。
大学を出て早々、書道家・篆刻家として自立し、やがて東京にある「墨澤書道会」(ぼくたくしょどうかい)という団体に所属しながら指導を始めました。
「『墨澤書道会』……ですか?」
「ああ、書道団体に属していないと分からんかも知れまへんな。橋戸筑川(はしどちくせん)先生の作られた団体ですわ」
「橋戸筑川……!?戦後書道界の重鎮じゃないですか」
「そうです。その人に、あいつは私淑しとりましてな。是非とも入りたい、と希望して入ったんです」
希望して入っただけに、貢さま――いえ、幽碩さまの書道生活は、とても充実したものになったそうです。
憧れのお師匠さまと、和やかな職場。そして老若男女のお弟子に囲まれ、楽しそうにしているのがうらやましかったといいます。
「それがですな……唐突に崩れたんですよ。筑川先生がご病気で亡くなられて、二代目が会長になった途端に」
「どういうことですか?」
「簡単に言えば、長男だからと器でないくせに継いでしもうたんです」
小牧さまによると二代目の筑川先生の長男は、非常に自己主張が強く時に人に自分の価値観を押しつけるという人格に難のある人で、人望は極めて薄かったのだそうです。
このせいで、多くの有能な先生が愛想を尽かし、会を去ってしまいました。
さらに悪かったのが、この会長の弟が事務局の局長になったことでした。この人は完全に不肖の息子で、幽碩さんに言わせれば「真性の馬鹿」。
自分の気に入らない人間は徹底的にいたぶっていびり出すという情実人事を事務局でやり続けた結果、職員がどんどん減って行き、一人頭の仕事量が大幅に増えて職場は殺伐とした雰囲気になったといいます。
さらにこの兄弟が人前で平気でけんかをするなど、公私混同を公然とするため、会は大荒れに荒れたのだそうです。
……この話に、私はあぜんとしました。
書道団体というと、普通は風流人や文人の集まりのような、穏やかなイメージしかありません。
しかしこれでは、まるで労働基準法無用の、人を使い捨てにすることしか考えていないようなやくざな中小企業ではありませんか。
しかもそれが、大書家の創立した団体だなんて……。
はっきり言って、ショック以外の何ものでもありません。
「でも、それでもあいつは何とかようやりましたわ。職員の人たちがかわいそうやと、少しでも会の雰囲気がよくなるようがんばったんです」
ですがその努力は、結果的に報われませんでした。
そのがんばりぶりが会長の眼に留まり、やり方が気に入らないとマークされました。
その結果、半年前にいきなり会長室に呼びつけられて延々と説教された挙句、その場でくびにされてしまったのです。
完全な情実人事、もはや無茶苦茶です。
幽碩さまもこれには激怒したものの、逆らったところでひっくり返るわけもありません。
しかたなく、心ある職員の方々や先生たちに送られ、会を後にしたといいます。
「ひどい話や、ほんま……あいつほどの才能の持ち主を、気に入らないだけで放逐するなんて」
小牧さんはこの事と次第を、電話で聞いたといいます。
そしてその時、どうするのかという問いに、幽碩さまは富山に帰ると言い、小牧さまのところに寄宿させてくれるよう頼んだのです。
「私は女房を亡くしとりましたさかい、部屋は空いとりましたんや。せやから、ああやって住まわせとるというわけなんです」
しかし、ここで小牧さまも予想外のことが起こりました。
夜行列車で帰って来た幽碩さまが、世話になるとあいさつした後、まず言ったのが、
「叔父貴、鶏血(けいけつ)あるか」
その言葉でした。
「鶏血」とは辰砂(しんしゃ、硫化水銀)の混じった真っ赤な石で、篆刻の石としては高価な部類に入ります。
小牧さまのところでも2本しかなく、発言の意図を分かりかねて戸惑ったそうですが、幽碩さまがあまりに鬼気迫る表情でお札を出しながら言うもので、1本出したのだそうです。
すると幽碩さまは、奥に上がってかばんから篆刻用の道具を取り出し、ものすごい勢いで石を彫り始めました。
それを印譜(印を押す帳面)に押し終わるや、今度は巻紙に何かを書き始めたのです。
そしてそれが終わると、全ての道具をしまい込み、
「叔父貴、これが俺の決意だ」
印譜と巻紙を渡して来たのだそうです。
「決意、ですか……?」
「ええ。私も最初は何やわけ分からん思うて見てましたが、渡されて初めてあいつがどんな覚悟でここへ戻って来よったか知りました」
そう言うと、小牧さまは机の中から和綴じの印譜と、巻紙を取り出します。
そして、印譜の最後の頁が開かれた時、
「………!!」
私は、息を呑みました。
そこにあった印には、
「獲麟」
その2字が刻まれていたのです。
「獲麟」――この言葉は、孔子が書いたといわれる魯の国の歴史書『春秋』にちなむ言葉です。
孔子が亡くなる直前のこと、魯の国内で聖獣である「麒麟」が捕らえられるという事件が起こりました。
しかも捕らえた人たちは誰も麒麟を知らず、気味の悪い動物だと決めつけて現地の役人に押しつけ、帰ってしまったといいます。
これを見た孔子は、大変な衝撃を受けました。
麒麟は泰平の世にしか出ないのに、戦乱の世に出て来ている。
しかも誰も麒麟を知らないので、神聖なはずの姿を気持ち悪がる始末。
この前代未聞かつ人間の堕落をこれでもかと示すような出来事に、孔子は完全に世を見放し、『春秋』の筆を折ってしまったのです。
この故事から「ものごとの終わり」を「獲麟」と言うようになったのですが……恐らく状況的に、元になった故事の方も踏まえてこれを刻したのでしょう。
事実、側款(そっかん、印の横に彫る作者名などの文字)に『春秋』の当該記事が引かれているようです。
次に、巻紙が開かれます。
「漁父辭」(ぎょほのじ)
この3字が見えただけで、私には何が書かれているか分かってしまいました。
「屈原(くつげん)既に放たれて、江潭(こうたく)に游(あそ)び……」
思わず読み上げて、私は涙しました。
「漁父辞」とは、『楚辞』と呼ばれる戦国時代の古詩集にある詩で、楚の国の政治家・屈原の落魄を詠ったものです。
屈原はとても有能・高潔な人でしたが、主君の懐王がが暗君であった上、朝廷内に奸臣がのさばっていたために、理不尽な政争に巻き込まれてしまいました。
最終的には江南(長江南岸)に流刑にされてしまうのですが、その時の話を書いたものです。
汨羅(べきら)というところで屈原は船に乗った漁師に、なぜ政府高官がこんなところにいるのか訊ねられ、
「世間が濁っている中で私だけが澄んでいる。世間が酔っている中で私だけ醒めている。だからだ」
そう答えたところ、漁師に、
「濁っているの澄んでいるのと言わずに、世に合わせてみたらどうですか」
と勧められます。
しかし、屈原にはそれは耐え難いことです。
「わざわざ汚れるなど耐えられぬ。この河に身を投げて死のうとも受け入れられない」
と言い返します。
すると漁師は『孟子』にある古歌を歌い、「あくまで世に合わせて生きるのが一番賢い」と言いながら去ってしまいました。
その後、2人は二度と会うことはありませんでした。いや、会おうとしても会えなかったでしょう。
その直後、屈原は絶望の余り、汨羅を流れる汨羅江に入水したのですから。
「こんなんをものしたわけは……もう、大体お分かりですやろ。今後一切書道はやらんと、ほぞを固めたからですわ」
「………」
私は、何も言うことが出来ませんでした。
世間を厭うて筆を擱(お)いた孔子、理不尽な追放に世をはかなんで入水した屈原。
幽碩さまは、この2人に自分を重ねたのでしょう。
あまりにも、悲痛な覚悟であったことがこれからもよく分かります。
「主計はんが訪ねて来れば、あるいは……と思うておったんですが、どうもあきまへんな、今のを見とりますと」
そう言ってため息をつきながら首を振る小牧さま。
「はあ……せっかく才能に恵まれたちゅうに、こないな理不尽ななりゆきで埋もれてまうなんて……」
その言葉が、墨の香漂う店の空気の中に、まるで溶けるように消えて行くばかりでした。
午後。
携帯電話での連絡を受けて、皐槻さまが雪乃さまと一緒に電車を降りられるのを、私は中央通りの入口で出迎えました。
「あうあうーっ」
雪乃さまは、念願の直接指導が受けられるとあって大変喜んでいます。
意気込みを語って……いや、書いて曰く、
『今こそ「金釘」の汚名返上の時です!』
とのこと。
「金釘」などとは誰も言っていないのですが、まあそれだけ気にされている証拠なのでしょう。
「どうしましょうか、ひびきさん。私は、雪乃さんがペンを習っている間にお買い物をして、それから迎えに来ようかと思っているんですが」
「うーん、練習が長くなった場合、皐槻さまがお待ちになることになると思うので……皐槻さまには先に帰っていただいて、私がお送りするという方がいいと思います」
「あうっ、あうあうあうっ」
「え、『皐槻さんは、お買い物に専念してください』ですか。じゃあ、そうしますね」
そんな打ち合わせをしながら北陸銀行の本店前を通り過ぎ、小牧書道店の前までやって来ました。
「こんにちは、生徒さんをお連れしました」
そう小牧さまに言うと、奥からひょこひょこと幽碩さまが現れ、
「ああ。……どっちの人ですか?」
2人を見て言います。
「あうっ」
それに元気よく答える雪乃さま。
そして、自らレジのところまで進み出て、
「あうっ、あうあう」
そう言いながら筆談用の紙を幽碩さまに渡します。
「『どうぞよろしくお願いいたします』……か。こちらも、短い間とは思いますがよろしく」
「こちらも、よろしくお願いします。恐らく私は迎えに来られないので、ひびきさんに連れて帰ってもらうようになると思いますが……」
「まあ、ご本人たちがいいというのでしたら、私も構いません」
そんな会話の後、皐槻さまが去ると、幽碩さまは、
「じゃ、奥へ入ってください。主計さんも、よろしければどうぞ」
私たちを奥へ招き入れました。
古い街にはよくあることですが、間口の割に奥が深いようで、いくつか6畳とおぼしき部屋が並んでいます。
私たちは、そのうちの客間でしょうか、あまり使われていない部屋に通されました。
「それじゃあ……まず自己紹介ついでに、加積さんの現在の能力を見てみましょうか。そこにあるデスクペンで、その2行書きの用紙に、縦書きで氏名を漢字と平仮名、住所の町名を同じく漢字と平仮名で、自分が思う限りていねいに書いてみてください」
席に着いたところでそう言う幽碩さんに、雪乃さまはしばし戸惑います。
「あ、デスクペンの使い方が分かりませんか……要は、簡易型の万年筆ですよ。蓋を開けて、そのまま書けば大丈夫です。ボールペンでもいいんですが、ペンでやった方が応用が利くので」
幽碩さまの言葉通り、ゆっくりと書き始める雪乃さま。
やがて、「加積雪乃 かづみゆきの」「堀川小泉町 ほりかわこいずみちょう」と書かれた紙が、幽碩さまの前に提出されます。
「ふうむ……」
幽碩さまはそれを見て、指でなぞりながらしばし悩んでいましたが、
「加積さん、もう一枚いいですか。今度はこの文を2行書きで。『黒部ダムでは夏になると』、ここで改行して『環境のため放水が行われる』と。『行う』は漢字で」
もう一度お題を出されました。
雪乃さまがそれを書き終わると、再び幽碩さまはそれをながめ、ゆっくりと口を開きます。
「今書いてもらったのは、漢字・仮名各々の書き癖と、漢字仮名交じりの場合の漢字と仮名のバランス感覚を見るためです」
「漢字と仮名のバランスを?」
「ええ……漢字と仮名は特性が違いますからね。混ぜた場合、大きさなどの点でバランスが大切になるんですよ」
そう私に言うと、しかるに、と言いながらさっきの雪乃さまの作品を広げ、
「まず漢字と仮名の書き癖ですが、漢字のおれの部分を誇張しすぎるきらいがあります。特に『加』の字の『力』の1画目、これはおれというより右上に払う勢いです。ここまでしなくてもいいんですよ。『乃』の2画目も、こんなに階段状にかくかくさせることはないです」
鉛筆で薄くなぞりながら説明して行きます。
「仮名は、やはり漢字と似ていますね。本来なら緩やかなおれ、曲がりであるところが角張りすぎです。平仮名は漢字の草書体から発生した文字なので、漢字よりも違和感が大きいですね」
「あうー……」
「次に、交ぜ書きのバランス。漢字・仮名の大きさが全く同じならよくあることなのでまだいいんですが、書いているうちに字がどんどん大きくなってしまって、最後にしわ寄せが来る状態はまずいです。まあ、加積さんの場合軽度なので気になりませんが、引きずるとよくはないので直してしまいましょう」
「あうっ」
自分の欠点を厳しく指摘されながらも、決意を込めた眼でうなずく雪乃さま。
「では悪いんですが、まずは漢字の癖を矯正するために、片仮名の練習をやりましょう」
その言葉に対し、雪乃さまは、
『片仮名を、ですか?』
首をかしげながら筆談の紙を出します。
「ええ。自分流の指導法なんですがね、片仮名というのは漢字の一部を取り出して文字にしていますので、それを練習すると片仮名だけでなく漢字の書き方まで練習出来るんですよ。さっきの『ダム』を見ていても、漢字とそっくりな癖が出ていましたから、加積さんにはぴったりでしょう」
そこで幽碩さまは少し伏し目がちになると、
「……実言いますとね、嫌がる人もいるんですよ。『小学生じゃないんだから』って。大丈夫……ですかね?」
遠慮がちにそう訊ねましたが、
「あうっ!」
さっきよりも力強いうなずきが、雪乃さまの返答でした。
「それでは、お手本を用意してあるのでこれで書いてみてください」
――それから書くこと4時間余り。
途中で私が中座し、皐槻さまとの対応に出て帰って来た時、
「すごいですね、最初と比べると別人のようだ」
幽碩さんの心底感心したような声が聞こえて来ました。
「どうなりました?」
「ええ、これだけ書いた結果、悪いおれの癖がほぼ消えました。ついでに、『シ』『ツ』の書き分けなどが出来ていなかったのも直りましてね」
その言葉に雪乃さまの膝元を見てみると、30枚近い紙が。
「いやあ、驚きましたよ、加積さんには……そこまで根を入れなくても、と言うのに、のりにのって練習用紙を1冊使い切るまで書いて。俺の方がへとへとですよ」
そうは言いつつも、指導の成果が出たことに喜びを隠せない様子の幽碩さま。
「じゃ、加積さん。今日は、始めに出した名前と町名を書いて、終わりにしましょう」
「あうっ」
うなずくと、2行書きの紙を取り出して慎重に書き始める雪乃さま。
その作品を見た幽碩さまは、
「ううむ、予想以上」
そう言って、満足げにうなずきました。
「漢字に関してはおれの異常、ほとんど消えましたね。ただもう少し、力を抜くともっとよくなるでしょうし、他にも練習する場所はまだあります。平仮名は……と、ひどかった部分は消えましたが、やはりまだですね。曲線の書き方を身につけないと完璧には書けないので、平仮名は別個に練習しましょう」
「あうっ、あうあうっ!」
そう言って、雪乃さまは、
『何でもやらせていただきます、先生!』
筆談用紙を胸の前に掲げます。
「えっ……いやいやいや、『先生』は勘弁してくださいよ、『先生』は。昔取った杵柄、ってだけですから」
大あわてで手を振って「先生」呼ばわりを断る幽碩さまに、
「そないなこと言いながら、まるで初めて自分の指導の効果が出た新米教師みたいな顔しとるんは、どこのどいつや」
いつの間にいたのか、小牧さまが後ろからにやにやしながらいたずらっ気たっぷりに声をかけて来ました。
「お、叔父貴!そ、そんなことあるかよ。俺は、加積さんの根性と上達のすごさに驚いているだけだ」
ぷい、と顔を背けてそれを否定する幽碩さまに、小牧さまは、
「まあ、そういうことにしといたろ」
苦笑しながらそう返します。
早や灯ともし頃となった中央通りには、もうそろそろ夜の買い物客が姿を見せ始めていました。
それから1週間。
雪乃さまは、最初の日の翌日に筋肉痛のためお休みしただけで、毎日ペンの練習に通い続けました。
その上達ぶりは、チョコさま曰く、
「か、金釘なユキノが学校の先生になりそうだよ!?」
まあそれくらい大変な進歩だったということです。
……どうでもいいですが、「金釘」呼ばわりはあなたでしたか、チョコさま。
今では楷書が一通り書けるようになったからと、少しずつ行書にも挑戦しておられます。
と、そんな時です。
いつも通り、雪乃さまを連れて来られた皐槻さまが、
「あの、横芝さん……私にも、字を教えていただけませんか」
ためらいがちに、そう言い出したのです。
これには、私も小牧さまもびっくりしてしまいました。
「え、どうしてまた?」
「ちょっと恥ずかしいんですけど……私、変に骨太の字で。雪乃さんを除けば、私は大家の高志さんと並んで一番琴芝の家の中でも字を書く方ですから、何とかしたいな、と」
その皐槻さまの言葉に、幽碩さんは、
「なるほど、そうなりますとペン字ですかね?」
ぽりぽりと首筋をかきながらそう問います。
しかし、皐槻さまが返した答えは、
「いえ……ペン字ではなく、筆の方をやってみたいんです」
その予想を裏切るものでした。
瞬間、首筋をかく幽碩さまの手が止まったかと思うと、
「……申しわけありませんが、そいつは受けられません」
硬い表情でそう拒絶の言葉が返って来ました。
そうでした、雪乃さまの上達に舞い上がっていましたが、幽碩さま自身の断筆宣言は、まだ撤回されていなかったのです。
「え、なぜ……」
「ちょっと、よんどころない事情がありましてね。勘弁してください」
そう言って、逃げるように奥へ引っ込んで行く幽碩さま。
「……ったく、結局これか!少しは思い直したかと思ったら」
幽碩さまの態度の軟化を喜んでいただけに、悔しげにその後ろ姿を睨みつける小牧さま。
「申しわけありません、うちの甥が……」
「い、いえ、突然教えてくれと言った私もよくないのですし」
しばらく、店内に気まずい沈黙が落ちました。
その中、小牧さんは何か考えているようでしたが、
「……あの、確か桐山はんとおっしゃいましたな?自分の字が骨太、とのことですが、どんな感じか書いてみてくれまへんか」
「え、ええと……こんな感じで」
小牧さんの言われるままに、ボールペンでメモ用紙に名前を書く皐槻さま。
「これは……!」
それを見て瞠目するや、小牧さまはいきなり硯箱を取り出し、墨をすり始めます。
「あ、あの?」
「桐山はん、今書いた要領のまま、墨で『太子洗馬』と書いてみてくだはれ。『太子』は聖徳太子の太子、『洗馬』は洗う馬ですさかい」
戸惑う皐槻さまを置いたまま、ささっと半紙まで準備し、席を譲る小牧さま。
皐槻さまは何が何だか分からないという顔のままながら、言われる通りに半紙の前に正座し、「太子洗馬」と書きます。
「え……」
「やっぱり、な」
その文字に驚く私と、我が意を得たりという声を上げる小牧さま。
そしていきなり、
「えらいこっちゃ、この人、六朝楷書(りくちょうかいしょ)の才能あるかも知れんで」
奥にわざと響くような首の向きでそう言いました。
次の瞬間です。
どたどたと足音が響いたと思うと、
「叔父貴、そりゃ本当か!?」
息を切らして幽碩さまが飛び出して来たのです。
「……ほれ、来よったわ」
ほくそ笑む小牧さまをよそに、皐槻さまの書いた半紙を見て第一声、
「『高貞碑』(こうていひ)が躍ってる……」
それだけ言って、呆然としてしまいました。
「六朝楷書」とは、中国が北側の北魏をはじめとする異民族王朝・北朝と、南側の劉宋をはじめとする漢民族王朝・南朝に二分された南北朝時代(5〜6世紀)、北朝で漢字受容のうちに発達した独特の楷書で、その素朴で野趣あふれる姿に人気があります。
「高貞碑」は北魏の貴族・高貞の墓碑で、北魏で六朝楷書をもって彫られた碑――もっとも当時は紙が一般的でなかったため碑ばかりなのですが――の代表格です。
「これ、本当にあなたが書いたんですか?叔父貴が書いたんじゃありませんよね?」
「あほ抜かせ、わしは篆刻専門や。六朝楷書はよう書かれんわ」
信じられないという様子で念を押す幽碩さまと、疑いをかけられて眉をひそめる小牧さま。
自分の質問にこくこくと皐槻さまがうなずくのを見て、幽碩さまは黙り込んでしまいます。
「どや、わしはこの人、天稟がおありになると思うがな。お前が教えたったら、ものになるんやないか?」
「い、いや、そうかも知れないがな……」
「ええい、『六朝楷書』の単語に反応してここまで駆けつけて来よったくせに、この六朝楷書おたくが。往生際悪いで」
小牧さんがここぞと言わんばかりに畳みかけるのに、幽碩さんは困ったような顔をしていましたが、
「……分かりました。有望な方と分かった以上、門前払いも出来ません。お受けしましょう」
渋々という感じで引き受けてくださいました。
「あ、ありがとうございます。……でも、あんな骨太の字で、女性らしくないのではないでしょうか?」
「いや、そんなことはありませんよ。僕が以前教えた人の中には、女性でもああいった力強い字をものする人はたくさんいました。単に野太いだけなら、おっしゃる通り似つかわしくありませんが、太いなら太いなりに見せる書き方を身につければ大丈夫です。それに、六朝楷書をやっておくと実用で楷書を書く際にも使えます」
そう言いながら、雪乃さまの書いている部屋の一つ奥へ。
「さて、いきなりなんで用意を……」
ささっと用意を終え、まず墨のすり方から。
そして筆の扱い方を覚えるため、いきなり字を書くのではなく横棒や縦棒、おれやはねなどを練習して行きます。
「うーん、主計さんところの人たちは、みんな覚えが早いなあ……」
そう幽碩さまが舌を巻くほど早く皐槻さまは筆の使い方を覚え、1時間後には幽碩さま自らのお手本で書くところまで行きました。
幽碩さまは、「高貞碑」の拓本を眼前にして、筆を持ったままためらっていましたが、ややあって、
「えい!」
そう一声挙げると、力強く臨書(昔の書蹟を模写すること)を開始しました。
「……字の形が、随分と違うんですね」
「ああ、それが味なんですよ、六朝楷書は。詳しい話をするとそれだけで陽が暮れるのでやめますが、統一基準がなかったので『異体字』といって字形の違う字だらけなんです。そもそも我々が活字で見ている字体は、文部科学省や経済産業省が定めたものでしかないですから。書道の字体はそういうものに本来縛られないところにありますので、この六朝楷書だけでなく他の時代のものにもいっぱいありますよ。戸惑っていたらきりがないくらいに」
「なるほど……勉強になります」
やはり小牧さまが言われる通り、よほど好きなのでしょう。
皐槻さまが書いた作品に指導をし、ついでに碑の解説や見つかった過程、そして「六朝楷書」とは何なのか、どう評価されたのかという話を断続的に続けます。
熱っぽく語る幽碩さまに、皐槻さまは少々眼を白黒させながらもついて行っています。
むろん、もう一人教えている雪乃さまの方を見に行くことも忘れません。
これで知ったのですが、幽碩さまはやはり指導者としての天性があるように思います。
でもそれは偶然に受講者が増えたからこそ、分かったことでもあります。
(これは、天のいたずらか何かなのでしょうか?)
そんなことを思って、私は夕暮れの空に薄く見え始めた一番星をあおいだのでした。
Copyright(C) MasakiTomasawa.