※このSSは、Purple software(パープルソフトウェア)のPCゲーム「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」及び同ソフトのファンディスク「はぴぶりファンディスク」を基としています。
※両者のねたばれを含みますので、両方とも未プレイの方だけでなく「はぴぶりファンディスク」のみ未プレイの方も充分にご注意ください。
1
その日の夕方。
「まいどはや。桐山はん、お出かけがけ」
買い物に出ようとした皐槻ちゃんに、門の向こうからしわがれた男性の声がかかった。
「あ、横手さん……ええ、ちょっと買い物に。そちらもパトロールですか?」
「ええ、最近ここらも空き巣やらひったくりやら物騒なんが増えてますがいちゃ。それも妙に小賢しゅうなっとりますさかい、私ら警察としてはいじくらしい(腹が立つ)話ちゃね」
皐槻ちゃんの言葉に、今では珍しい丸出しの富山弁で返す。
紺の制服に「富山県警察」と書かれたワッペン、几帳面にかぶった制帽、金属箱のついた自転車。
この何とも昔ながらの「お巡りさん」という格好を貫いているこの人こそ、うちの周辺を管轄する堀川警察署小泉駐在所の横手勲雄さんという警部さんだ。
「警部」というと刑事さんのイメージが強いけど、実際にはこうして重要と見なされた交番や駐在所に配属され、その長を勤めることも少なくないとか。
「なあん、回覧板で町内会の方から通達が行っとるちゃ、じゃまない(大丈夫)とは思いますがやけど……琴芝はんとこは女性だらけですさかいに、充分気つけられ」
「ご心配には及びません、横手さま。この主計(かずえ)ひびきがいる限り、この家には怪しい者は蟻一匹たりとも入れはいたしませんから」
その横手警部の言葉に、皐槻ちゃんの後ろの茂みからばさあっ、と姿を現すひびきさん。
「おわ、いくそった(驚いた)!……なあん、また歩哨ですけ、ひびきはん。意気込みは大したもんがやけど、過剰防衛にならんよう注意され」
「う……」
横手さんの釘差しに、思わず固まるひびきさん。
「特にその張り扇、威力が結構あるようちゃ。殺傷能力があるというところまでは行かんと思うがやけど、使い方にはほんま慎重を期され。使いようで兇器でないもんが兇器になることもあるちゅうことは、経験上知ってますがいちゃに」
「わ、分かりました、重々注意します……」
指を立てて注意する横手さんに、ひびきさんは神妙に張り扇を抱えて申しわけなさそうな顔をする。
「とと、あまり長居しとると、全部回る前に日が暮れてしまうちゃ。ほな、失礼しますちゃ」
そう言って制帽をかぶり直し、きいこきいこと自転車をこぎながら走り去る横手さん。
「いやあ……何と言いますか、あの警部さんには私もかないませんよ」
それを見送りながら、ひびきさんはいつもの張り扇をどこかへしまいこんで困ったように照れ笑いをする。
「人生経験豊富そうなご老人だというのもありますけど、あの富山弁で柔らかく言われると、何だか諭されてるみたいで」
「ああ、あるかもねえ、そういうこと。郷土の言葉って、知らなくても直感的に心に訴えるものがあるから」
「……そういえば高志さんは、アクセントだけ富山弁なんですよねえ」
そう言う皐槻ちゃんに、僕は、
「ああ、これね。うちは父方のおじいちゃんおばあちゃんが方言なんだけど、両親が標準語でね。僕が生まれた頃に同居してたから、両方の影響を受けちゃって。結果的に、アクセントでは富山弁が勝ち、語彙では標準語が勝ったってことになるのかな」
盆の窪をかきながら説明する。
「でも語彙の方でも、言われるまで方言だって知らなかった言葉あるし、全く影響がないわけじゃないけどね」
「ああ、ありましたね。いつだったか、私たちをごちそうしてくれた時に、『みんな、だかせてくれないか』って言って大騒ぎになったのとか」
「あはは……あれなんかまさにそうだったなぁ」
去年の秋口ぐらいの話だけど、総曲輪(そうがわ)の喫茶店で、みんなと一緒にお茶をしたことがあった。
その時、両親からの仕送りが先月から大幅に増えて気が大きくなった僕は、たまにはいいところを見せようとそう言ったのだ。
むろん「だく」は「抱く」ではなく、「おごる」という意味だったんだけど……よりによって僕はこれが富山弁だと知らず、標準語しか知らないみんなの前で使ってしまった。
当然「抱かせてくれ」と取られてしまった上、性的関係を暗示させる言葉とあって、すさまじい騒ぎとなった。
チョコと雪乃は脈絡がないと戸惑うし、皐槻ちゃんとひびきさんは顔を赤くして固まってしまうし、おねーさんはのりのりになるし……。
そして一番ものすごかったのがほのかサン。
「アンタ、公衆の面前で出し抜けに何言い出すのよ!!」
そう叫ぶや真っ赤な顔で平手打ちだ。瞬間沸騰する性格は、うちになじんだ今でも健在というところか。
結局、僕が言い方を変えて「みんなの分も払うから」と言ったところ、方言だったということが理解されたからよかったけど、その後しばらくみんなとものすごく気まずかった。
「うーん、標準語と変に語彙がかぶるとこうなるんだよねえ。本当に『抱きかかえる』方なら『うだく』になるから、絶対に混同されないし」
「まあ、そういう誤解もある程度まではご愛嬌だとは思いますけどね……と、いけない。こっちも行かないと日が暮れちゃいます」
「ああ、そうだね。じゃ、行ってらっしゃい」
小泉町から電車で10分ほど、西町の電停で私は電車を降りました。
「もうすぐ、トラムカードが切れそうですね」
トラムカードはその名の通り地鉄の富山軌道線内のみで通用するプリペイド・カードで、うちでは家族分毎月買い込んでいます。
特にほぼ毎日買い物をする私のカードは使いが激しいので、適宜買って補充していいと言われていますが……やはり2000円もしますから、その辺は財布と相談というところでしょうか。
電車を降りるとそこは道の真ん中なので、右か左に渡るか、スクランブル交叉点を渡るかする必要があります。
いつもは電停の南富山駅寄りにあるスーパーで買い物をするので、右に渡ってしまうのですが、今日はちょっと事情が違います。
今朝、うちで毎日飲んでいるお茶が切れてしまい、中央通りのお茶屋さんまで買いに行かなければいけないのです。
お茶そのものはスーパーでも売っているのですけど、琴芝の家では「バタバタ茶」という変わったお茶を飲む習慣がありまして……。
バタバタ茶は茶葉を強めに醗酵させた「黒茶」というやや酸味の利いたお茶の一種で、元々朝日町や糸魚川市の一部で飲まれていたものが広まったものだそうです。
ただし取り扱っているところとなると少なくて、駅前のおみやげ屋さん以外だと、中央通りの「松翠園」で売られている程度。
そのため、さっそく中央通りへ向かうべく、一気にスクランブル交叉点を渡り始めたのですが……。
(………!?)
交叉点の中ほど、電車の軌道をまたぐあたりで、私は急に嫌な感じをおぼえて後ろを振り向きました。
しかし、そこには古めかしい煉瓦造りの大和百貨店や、コーラの広告看板を兼ねた時計台を望みながらぱらぱらと人が渡っているだけで、何のおかしなところもありません。
私も性格こそおとなしいですが、いっぱしの猫。この手の違和感は気のせいにならず、当たることが多いのですが……おかしいですね。
まあ気にしてもしかたないと、急いで交叉点を渡りきり、地鉄の中央案内所から銀行に沿って中央通りに入ります。
目的地の「松翠園」は、入って数軒目のところにありますから迷うこともありません。
そして、無事にバタバタ茶を手に入れ、元来た道へきびすを返そうとした時でした。
いきなり、ぐいっ、とぶしつけに誰かが肩をつかんだのです。
戸惑いながら振り向くと、そこには見ず知らずの若い男性が立っていました。
「あの……何か?」
出し抜けに人の肩をひっつかむとはただごとではないと、警戒しながら私が訊ねると、男性は、
「その声……!!やはりな」
何かを確信したようにそう言うと、あぜんとしている私に向かって、
「フェンリル、フェンリルじゃないか……!!」
意味不明のことをいやに感慨深く言い出したものです。
「フェンリル……?いえ、私は桐山皐槻といいますが……どなたかとお間違えではないですか?」
いやに気合の入った男性の雰囲気に異常を感じながらも、とりあえず人違いだろうと踏んでそう返してみます。
しかし男性はそれに対し、
「ああ、何てことだ……やはり覚醒していないのか」
思いもつかないことを言い出しました。
「覚醒……?」
「そうさ。前世で俺たちは、『光の戦士』としてともに戦ったはずだ……俺ことスレイプニルと後ろにいる彼女、ヨルムンガンドと君が3人でね」
ここに来て、私はこの人がいわゆる「危ない人」だということに気づきました。
「す、すみません、私、そういうのには興味ありませんので!」
どちらかというと新興宗教の勧誘に対するせりふという感じもしますが、そんなことかまっちゃいられません。
この2人が何者かは知りませんが、ともかく関わり合いになると身に危険が及ぶ、そう直感的に思ったのです。
ところが男性は、
「待ってくれ!!……かわいそうに、覚醒しないまま出会ってしまったから、拒絶反応が大きいんだな」
そう言ってがっちりと腕をつかんだまま放してくれません。
「覚醒も何も、私は桐山皐槻以外の何者でもありません!!昭和59年2月22日、富山県婦負郡八尾町諏訪町出身のただの女性です!!」
「スレイプニル、これは期を待った方がいい。この子、どうやら何かに囚われているみたいだし」
私の叫びを無視して、女性がそう男性に言い出します。
「何だと……?」
「そうなの。この子は今、オーディンやその取り巻きの生まれ変わりに囚われているようよ」
必死にもがく私をよそに、わけの分からない会話を続ける2人。
「何という!許せん……現世においてまで、フェンリルを迫害しているというのか」
1人で憤怒の炎を立ち上らせる男性。
「これはまずやつをどうにかせねばならないようだな……」
そうぶつぶつつぶやく男性に、私は本気で気味が悪くなって来ました。
しかし、左手はつかまれたまま……私の踏ん張りも正直限界で、あと少しもすれば持って行かれてしまうことでしょう。
万事休す、そう思った時です。
すさまじいベルの音が鳴り、自転車が突っ込んで来ました。
「うわっ……!!」
「ひゃあっ!!」
「きゃあっ!!」
三者三様の叫び声が上がる中、その衝撃で男性の手が緩みました。
その瞬間を、私は逃がしませんでした。いつもは憎い暴走自転車なれど、この時ばかりは感謝せざるを得ません。
緩んだ手を思い切り払いのけると、相手が尻もちをつくのも構わずに、一気に西町の電停へ走り出したのです。
中央通りの真ん前に電停があったこと、そしてうまい具合に電車がいてくれたことも幸いでした。
自分でも久しぶりに発揮した猫の走りと跳躍で電車に飛び乗る私に、
「待っていてくれ、必ず助けに行くからな!!」
「ありゃ届いとらんうぇ」
男性の叫び声と、富山弁とおぼしき女性の声が飛んで来ます。
次の瞬間、扉が閉まり、電車は無事に西町の交叉点へ飛び出しました。
私は、突然のことにただただ驚くばかりで、バタバタ茶の包みを胸に抱えたまま、ひたすら小泉町への到着を待つばかりでした。
「高志さま!高志さま!」
久しぶりの休講とあって午睡(ひるね)をむさぼっていた僕の部屋の扉が、すさまじい勢いでたたかれた。
「……ひびきさん!?ど、どうしたの?」
その必死な声に飛び起き、扉を開けると、そこには青い顔をしたひびきさんが立っていた。
「皐槻さまが、怪しげな賊につきまとわれたとかで……」
「えッ」
「ともかく、居間までいらしてください」
ひびきさんに言われるままに居間へ向かうと、そこには既にみんながそろっていた。
その真ん中で硬直していた皐槻ちゃんが、僕を見るなり、
「た……高志さんっ、怖かったです……ッ」
おびえながら足がもつれそうになるのも構わず飛びついて来た。
そしてそのまま不安定な体勢で身をまかせそうになるのを、
「お、落ち着いて……とにかく、何があったのか話してくれないと」
何とか押さえると、彼女は、
「わ、分かりました……」
そう言って身を離し、座ってことの次第を話し始めた。
今にも震えて倒れてしまいそうな状況で一生懸命話す皐槻ちゃんの話に、
「うーん……」
僕は思わず頭を抱えた。
ただし、理解出来ずに頭を抱えたわけではない。相手がどんな輩か理解出来たから頭を抱えたのだ。
「あの、高志さん……この人たちって、一体……」
「皐槻ちゃん、おそらくそいつらは『前世厨』ってやつだ」
このことである。
「ぜんせ、ちゅう……?」
「うん……僕もね、雄太から聞いただけの聞きかじりなんだけどさ」
「ということは、精神関係ですか?」
僕の友人・雄太は、富山でも有数の精神病院の息子で、本人も精神科医・心療内科医を目指している。
まだ大学の方では専門に入るまでは行っていないのだけど、お父さんの仕事の関係上、そういう知識だけは先立ってあるらしい。
「まあ、そういうことになるね……ただ、病気というよりも人格の障害になるかな、この場合」
ちょっと本職の人には申しわけないようなつたない説明だけど、と前置きして、雄太から聞いた話を説明し始める。
「簡単に言うとね、こういう人って『自己愛』の異常があるらしいんだ」
「……自己愛?」
「『ナルシシズム』と片仮名で言った方が早いかな。要は自分が何より好きだ、自分が何より大切だって感情。人間なら誰でもある感情だし、そもそも人間が生まれて最初に持つ感情はこいつだと言っても過言じゃないね」
「言われてみれば……分かります」
「人間ってのは、最初こそ自分だけが大切だっていう気持ちだけでやって行ける。だけど他人と交わるようになると、自分だけを大切にするような行動は通用しなくなる。周りの人のことを考えながら、その中で自分を大切にするように成長して行かないと、社会から落伍しちゃうのさ」
「要するに連中は、それが未熟な段階、自分だけが好きで大切、他はどうでもいいってとこで止まってる人たちだってわけ?」
「でもさ、それならいわゆる『ナルシスト』になっちゃわない?自分だけが大切なんでしょ」
と、これはチョコ。まあ確かに、この説明だけ聞けばそうだ。
「そうもいかないんだよねえ……みんなそうなりゃどんだけ楽か、と雄太がぼやいてたくらいだし。ここで忘れちゃいけないのは、何だかんだ言っても本人がどうあれ、人間は他人と関わらなくちゃいけないってことなんだよ。成熟した人なら、自分は自分、相手は相手と区別して動けるけど、この手の自己愛の発達未熟な人たちは、自分が一番かわいいから、たとえ他人であっても自分の延長として考えてしまう。つまり、自分本位で他人を振り回すのにいささかの罪悪感も感じないってことさね」
「……えーと、おぼろげながら言いたいことは分かるんですが、それと『前世』は何の関係があるんでしょう?」
と、ここでようやく落ち着いたのか、皐槻ちゃんがおずおずと質問して来た。
「雄太曰く、『現実逃避』だそうだよ。さっきも言った通り、他人との関わりを考えながら自分を大切にするようにしないと、社会的に落伍するわけ。でもさ、これが現実の世界じゃなかったらどうだい?」
「……なるほど、確かに自分に都合よく世界を創れますもんね」
「そうそう。自分の作った世界の中なら、勇者様でも王様でも神様にでもなれる。それはとても気持ちいいことだよね。普通の人ならただ想像して終わりだけど、自己愛の発達未熟な人の中にはこれを使って、満たされない気持ちを満たそうとする人がいる。そしてさらに、自分の延長である他人まで引きずり込もうとするわけだ。この創造された自分に都合のよい世界が『前世』であり、それに逃げ込んでさらに人にちょっかいを出すのが『前世厨』なんだとさ」
「……はた迷惑な話ねえ。まだナルキッソスみたいに、餓死して水仙の花にでもなってくれる方が人畜無害だけにましだわ」
頭が痛い、とばかりにこめかみを押さえてほのかサンが言う。
「つか、ぶっちゃけた話、ナルキッソスの代わりに餓死しろって感じだけど」
渋面を作ったまま、過激なことを言い出すおねーさん。
普段不真面目そうに見えるおねーさんだけど、こういう社会的・人間的に問題のある輩には極めて手厳しい。
ましてや自分の愛娘ともいうべき娘にちょっかいを出されては、腹も立つだろう。
「……しかし、元ねたは一体何なんだろうな。『前世厨』の中には、何かの漫画やアニメの話を引っ張ってくるやつもいるらしいけど」
「あ、それなんだけどね、北欧神話よ」
僕の言葉に、ほのかサンが答えた。
「北欧神話か……最近、ちょっと名が知れてきたからね」
「そうそう。ただねえ……」
そこでほのかサンは急に苦笑するような顔つきになると、
「話を聞いた感じでは、『えせ北欧神話』って感じだけどね」
こめかみをかきながら説明を始める。
「まず、皐槻ちゃんを迫害しているという『オーディン』だけど、これは主神の名前。主神だから、当然こっち側が善ね」
「まあ、神話ってそういうもんだよねえ」
「で、その2人が名乗った名前と皐槻ちゃんの『前世』とやらの名前だけどね。一応共通点としては、『ロキ』という邪神の血が半分混じった神の子供、というのがあるんだけどね。ただ、『ヨルムンガンド』は蛇の化物、『フェンリル』は狼の化物で、オーディンに嫌われて封印される敵なのに対し、『スレイプニル』はオーディンの愛馬なのよねえ」
あきれたように肩をすくめて言うほのかサン。
「……何だそりゃ、それを連中の言ってることに当てはめると、善悪逆転の上に敵味方ごっちゃじゃないか」
「主人と愛馬が対立するって、『三国志演義』で関羽と赤兎馬(せきとば、関羽の愛馬)が対立するくらい有り得ない構図ですよ」
「しかも全員神とかじゃなくて、蛇だの狼だの馬だの……何だかかっこいいというのとは違うんじゃないかなあ。ボクたちが言うのも何だけど、動物じゃない」
「あうー、あうあうあうー、あうあうあうー、あう」
「『それで「光の戦士」とか、アニメや特撮の見過ぎだとしか思えません』だそうです……同意ですね」
口々に突っ込みを入れるみんなに、ほのかサンは、
「どうせ、ろくに北欧神話を知らない人間が、聞きかじりの知識で名前だけ拝借したってとこでしょ。いずれにせよ、北欧の人や関係者に失礼な茶番ね」
処置なしと言わんばかりに一刀両断した。
「まあ、ともかく、だ」
それを尻目に、僕は皐槻ちゃんに向き直ると、
「中央通りにそういう危ない連中がうろついていることを考えると、皐槻ちゃんはしばらくあっち方面に行くの控えた方がいいね。また追い回されないとも限らないし」
そう言ってとりあえずの対策を告げた。
「でも……もしうちに押しかけて来るようなことがあったら」
「それか……」
皐槻ちゃんが不安そうに言うのに、僕はさっき前世厨どもが言っていたという「助けに行くから」の言葉を思い返した。
「うーん、それに関しては何とも言えないな。連中の中で『囚われている』ことになっているから、そう言っただけかも知れないし」
「そうですか……」
「ともかくうちを知っているという確証がない以上、連中に皐槻ちゃんとの接触の機会を持たせないこと以外にしようがない。もし本当に押しかけて来そうなら、その時に対策を講じよう。今考えても、どうにもならないよ」
「分かりました……」
僕が必死でなだめるのに皐槻ちゃんはそう答えるけれども、どこかまだおびえている。
当然だろう。普通の人間ですら気味悪がろうものを、かつて人間に極度の恐れを抱いていた彼女が恐怖としないわけがない。
(このままどこかへ消え失せて、『季節の変わり目には変なのがいるねえ』と笑い話にしてしまえればいいんだけど……)
僕は唇を噛んだまま、ただそう願うしかなかった。
親愛なるフェンリルへ
先日は急に声をかけたりしてすまなかった。
だけど、分かってほしい。この書が読めているということは、他ならぬお前が「光の戦士」だからだ。このインクは俺たち「光の戦士」にしか読めないのだ。
先につけたヴォイニッチ手稿も手に取ってみてほしい。普通の人間には読めないが、お前なら読めるはずだ。
絶対に、絶対に助けに行く。だから待っていてくれ。
スレイプニル&ヨルムンガンド
追伸
この書をオーディンに見られてはならない。きっとやつは、闇の力をもって君を拷問にかかるだろう。
読んだら焼き捨ててしまえ。
螢光ペンで、しかも子供が書いたのではないかと思うような下手くそな字で紙数枚に渡って書き連ねた言葉は、この書簡の差出人が他ならぬ先日の前世厨であることを示していた。
そのことを察したのか、皐槻ちゃんは半分硬直したまま、書簡を見つめている。
「滅茶苦茶ね……ヴォイニッチ手稿って、有名な解読不能文書よ?研究者が束になって読めないものが、どうして皐槻ちゃんに読めるってのよ。というより、これと北欧神話とじゃ全然関係も何もないじゃないの」
心底あきれたようにほのかサンが言う。
「大体、そこらの文房具屋で売ってるような螢光ペンが『光の戦士』にしか読めないですって……笑わせる。茶番もいいとこだわ」
そう言って書簡を破り捨てようとするほのかサンの手を、僕は大あわてで止めた。
「待った、ほのかサン!こいつは押しかけの予告だ。証拠として取っておかないと、警察に相談出来なくなる」
「うっ……それも、そうね」
「それとひびきさん、荷物があったって言ったね?一緒に、持って来なかったの?」
ほのかサンが書簡を手許に置いたのを見届けてから、僕はひびきさんに水を向けた。
すると、ひびきさんは、
「え、ええ……玄関まで持って来たは来たのですが……」
珍しく戸惑ったような顔つきになり、一同の顔をしばらく見回した後、
「……においが、ひどくて」
やっと、それだけ言った。
「においだって……?どんな?」
「このですね……表現が、出来ないんですよ。いずれにせよ、みなさまの前で開封するにははばかられるものではないかと……」
冷静な彼女に珍しく、わたわたと言うひびきさんに、
「……分かった。とりあえず、僕が見よう」
「私も行くわ。正体が分かるかも知れないから」
僕がそう言ったのに続いて、おねーさんがそう言い出した。
みんなにいいと言うまで来ないように言い残すと、僕たちは廊下に出た。
「ん……」
玄関先に置いてある小さな箱に近づくにつれ、一同の顔が歪む。
何だろうか、このにおいは。ひびきさんじゃないが、表現が難しい。
あえて言うなら「生臭い」なんだろうけど、いわゆる魚の生臭さなどとは別系統の、あまりかいだことのないものだ。
ただ、一方で心当たりがあるような……妙な感じだ。
箱の前に着くと、そこは完全に異様な臭気に包まれていた。
思わず手の甲で鼻をおおいながら、持って来たカッターで箱を開封する。
「………?」
箱の中には、何かどろりとした液体の入った硝子瓶と、金箔を貼られた妙な形の石、そして紙が数枚入っていた。
触ろうとする僕を制し、おねーさんがどこから取り出したか手袋をはめて硝子瓶を取り出す。
ゆっくりと蓋を開けると、すさまじいにおいが辺り一面に拡散する。
おねーさんは眉をしかめながら瓶の中身を観察してかぎ、ゆっくりと蓋を閉め、
「……交合液……」
唇をかんでそう言った。
「こ、交合液?」
「ええ。魔界では『邪淫の術』として禁じられている術に使うもので、私も標本でしかかいだことないんだけどね。成分は……男性の汁と女性の汁」
「………!!」
そのおねーさんの言葉で全てを察し、硬直する僕とひびきさん。
「この石も……よくみるとしゃれこうべの形してるわね。やはり交合液のにおいがするところ見ると、塗ったくって金箔貼ってるんじゃないかしら」
石をのぞき込みながらそう言うおねーさんに、僕は、
「……真言立川流かよ!」
思わず叫んでしまった。
真言立川流とは、真言宗を元にした宗教で、真言宗の根本経典『般若理趣経』が男女の営みまで肯定するような過激な譬えをして人間の存在をあるがままに認めているのを逆手に取り、男女の交わりこそ悟りに達する道だ、としたものだ。あまりに風紀が乱れた宗教だったため、江戸時代に「邪教」として弾圧されて消えている。
この宗教では男性の汁と女性の汁を混ぜたものを「和合水」とし、しゃれこうべに塗って金箔を貼り、「ご本尊」扱いするというとんでもないことをしていたらしいけど……眼の前にある箱の中で、それがまさに再現されているってわけだ。
普通の人でもどん引きものの光景なのに、「立川流」の名にトラウマがある真言宗の人間にしてみれば、別の意味でもたまったものではない。
まさかうちが真言宗豊山派なのを知って、送りつけて来たわけでもあるまいけども……。
紙の方を恐る恐る開いて見てみると、
「オーディン呪ワレヨ」
の文字が延々と5枚ほどの紙にびっしりと書かれている。
恐らくこの箱は、連中が皐槻ちゃんを捕囚していると言っている「オーディン」を呪うための呪物か何かなのだろう。
3人そろって、今までおよそしたこともないようなものすごい顔つきで箱を閉じる。
「ごめん、ひびき。ごみ袋でいいから、何かにおいを封じ込められるような袋を」
ひびきさんがどこからともなく半透明のごみ袋を取り出すと、おねーさんは穢らわしいものを触るような顔つきで箱を袋に封じ込める。
すかさず、僕が玄関を開け放ち、玄関の空間と自分たちに消臭スプレーを吹き付ける。
とっさにそれを思い立つほど、鼻がひん曲がりそうなにおいが漂っていたのだ。
後ろを振り返ると、不安そうに食堂からみんなが顔を出していた。
「高志さん……一体、何だったんですか?」
「ちょっと女性には、言うにも見るにもはばかられるものさ。詳しく説明すると、下手すりゃセクハラってやつでね……」
「アンタ、真言立川流とか言ってなかった?まさか……」
「……聞こえてたのか。そう、その秘儀の再現だよ、ほのかサン」
「ちょ、ちょっとそれって……」
どうやら知っていたらしく、顔を歪めるほのかサン。
だが、次の瞬間には質問攻めに遭い、やむなく真言立川流について説明する羽目になってしまった。
この説明に、全員の顔が一気に歪んだのは言うまでもない。
「た、高志さん……これ、一体どうすれば……」
皐槻ちゃんが泣きそうな声で言うのに、僕は歯をぎりりと軋ませると、
「警察に相談しよう。どのみちこの辺管轄してる横手さんは、僕らと知り合いだし……あの性格だから親身になってくれるだろう」
歯のすき間から絞り出すように言った。
「ともかく、みんなは朝ご飯を食べてしまいな。警察へは全員は行けないから……被害者である皐槻ちゃんに、付き添いで僕とおねーさん。この3人で行って来るよ」
「世の中には、とんでもないだら(馬鹿)がおったもんちゃ……」
僕たちの話を聞いた横手さんは、あきれ半分、驚き半分という感じの声でそう答えた。
あれから件の書簡と荷物を持って、横手さんのいる小泉駐在所へ相談に行ったところ、案の定横手さんは懇切丁寧に話を聞いてくれた。
こういう被害に遭っている人の中には、警察に相談しても相手にされずほぞを噛む人も多いというから、正直ありがたい。
横手さん曰く、
「警察は『民事不介入』が原則ちゃ。ところがそれを楯に住民があじこと(心配事)を相談しに来られるを形式的に門前払いこくだらが、最近えらく増えとるちゃ。そんなことちゃあ、何で交番におるのか分からんちゃ。おってもおらんでも同じちゃあ」
とのことで、後輩たちにも面倒くさがらず相談に乗るように指導をしているとか。
それはともかく……。
「えらい目に遭われたちゃ……桐山はん、怖かったがやろ?」
「ええ……でも、高志さんやほのかさんが、いろいろと不可解な部分を説明してくれたので、少し怖くなくなりました」
「孫子の兵法でもないがやけど、相手を知ればそれなりに安心も出来るもんがいちゃ」
そう言うと、横手さんは机の上に置かれた例の箱に眼を向けた。
「しかし……けったくそわるい(気持ち悪い)もんを送りつけて来たもんがいちゃ。琴芝はんの弁やないがやけど、ほんま立川流気取りちゃ。男と女の体液なんぞ、閨房以外じゃやんちゃくらしい(汚らしい)代物ちゃ」
そう言って顔を歪めながら、箱を素早く袋の中にしまい込む。
いろいろ一般人にはきついものを職業柄見慣れているとはいえ、気持ち悪いものは気持ち悪いということだろう。
「さて、事情が一通り分かったところで、少しばかりその連中について訊いてもいいですけ、桐山はん」
「はい」
「憶えている範囲で構いませんちゃ、相手の面相、服装などについて教えてくたはれ」
その言葉にこくりとうなずくと、皐槻ちゃんは記憶をたどりながら連中の顔つきや服について答えて行く。
「ふんふん……男の方は、中肉中背で顔はやややせぎす、身長は琴芝はんと大体同じくらい、と。琴芝はん、いくつですけ」
「確か、172センチだったと思うんですが」
「どうも。そいなら170センチ内外でいいですちゃ。服装は……ごく普通のジャンパーにジーンズ姿と」
「そうです。ほとんど服装の方では特徴らしい特徴はなくて」
「で、女がやや肥り気味、身長は150センチ後半くらい。きっつい桃色の服が印象的だった……と」
「そうですね。こう言うのも何ですが、全然似合っていませんでした」
そこまでメモし終わると、横手さんは、
「他に、何か気づいたことはありませんけ」
ボールペンのペン先の滓をちり紙でふきながら訊ねる。
「特には……あッ」
その言葉に首をひねった皐槻ちゃんが、急に何かを思い出したように叫んだ。
「どないされたけ?」
「女の方ですが、もしかすると県内の人かも知れません。しゃべり方が無理して標準語使ってる感じでしたし、逃げる私の後ろから、恐らく富山弁だと思うんですが、『ありゃ届いとらんうぇ』とか言ってましたから」
そう言う皐槻ちゃんに、横手さんは一瞬眉を寄せ、身を乗り出して来た。
「『うぇ』……?桐山はん、それ確かですけ?」
「え、ええ」
そしてあごに手をやると、
「……呉西(ごさい)の者ちゃな」
つぶやくように言った。
「え、そんなのが分かるんですか?」
「なあん、分かりますちゃ。富山弁は『ちゃあちゃあ弁』と言われますがやけど、実際には『ちゃ』を使わんところもありますがいちゃ。そのうち『うぇ』は呉西独特の語尾ですちゃ」
富山県は富山市西郊の呉羽山を境として、富山市を中心とする東側の「呉東」と、高岡市を中心とする西側の「呉西」に分かれる。
この両者は県内でも細かな文化の違いがあり、言葉も微妙に違ったりする。
「まあ、呉西言葉を使っとるから即呉西に住んどるとは限らんがやけど……とりあえず、高岡や新湊、呉西地区の警察署に被害が届けられていないかどうか訊いてみますちゃ。桐山はん以外の人間に手を出しとる可能性もないとは言い切れませんさかい」
そう言うと、「呉西地区中心に照会」とメモに書き込む。
「それで……どうすればいいでしょうか?」
「なあん……こないな精神的に打撃を与えるような文書を投函したり、汚物に等しいものを送りつけたり、さらに押しかけると予告するのは充分に犯罪ですちゃ。しかし、まだ今の段階では立件は出来ませんがやね」
「それはまあ、そうですよね」
「その代わりと言っては何ですがやけど……うちの駐在所に詰めとる部下と一緒に、重点的に琴芝はんの家周辺を警戒しますちゃ」
「そうですか……ありがとうございます」
「いやいや、当然のことですちゃ。ですが、琴芝はんや桐山はん、またその他の人たちも自衛せられ。相手はいつ来るとも書いておらんですちゃ」
「それについては、僕の方でいろいろ調べていましてね。こういう押しかけっていろいろなところであるそうで、既に対策法が確立しているみたいなので」
「はあ……こないなやくちゃもない(とんでもない)ことが、全国で起こっとるてことですけ。ほんま、今の若い連中の考えることは分からんちゃあ……」
嫌な世の中になったもんがいちゃ、と横手さんがつぶやき、メモを閉じる。
かくして、琴芝家前代未聞の闘いの火蓋が、切って落とされたのだった。
予告の日までの間、僕らは籠城状態を続けながら、僕の部屋に設けた本営に集まって、対応の仕方を確認し合っていた。
何度も言う通り、何をしてくるか予想だにつかない連中なのだ。わずかなミスが、こちら側に大きな被害としてはね返って来る可能性が高い。
それに相手は、もはや最初からうちに突入する気満々でいるのだから、余計に油断がならない。
僕らは、連中を撤退させるための対応を打ち合わせるとともに、連中が突入してきた時を想定し、先日ひびきさんが私的に書いていた戦闘配置図を改良して9人の配置を定めた。
そして、証拠を取るための録音環境の整備も行った。
これに関しては、僕と雄太がICレコーダーを所持し、さらに1階と2階の厠へテープレコーダーを置いて小型マイクを接続、扉に張りつけることにした。
当初はICレコーダーだけのつもりだったけど、
「やるんなら、徹底的にやっちまえ。ほれ、小型マイク……感度がものすごくいいやつだから、どんな環境でも使えるぜ」
雄太がそう言って取り出したピンマイク――あとで聞いたところによるとお父さんのお下がりらしい――と、うちにあった2台のテープレコーダーを使って、実に計4台の録音機が回されることになった。
――そして、日曜日。
襲撃予告の日が、ついに来てしまった。
襲撃されそうな時間の当たりがつけばこちらもやりやすいのだけど、
「大抵は夜とか眼につかない時間帯なんだが、何せ常識が通用しない連中だからな……」
とは雄太の弁だ。
そんなわけでやむなく猛スピードで朝ご飯を平らげ、全員所定の位置に着く。
まず、9人を1階と2階に分け、1階には僕・雄太・ひびきさん・おねーさんと、戦闘能力がそれなりにある4人が駐屯することになった。
一方、2階は残りのチョコ・ほのかサン・雪乃。3人には、連中を2階へ上がらせて被害を広げないためのバリケード構築と死守を頼んだ。
そして直接被害者の皐槻ちゃんだけど……彼女は、あえて1階組となった。
本来なら2階の奥の部屋に閉じこもってもらうのが一番かも知れないが、もしそこまで上がり込まれてしまったら袋の鼠となってしまう。
それに、古今東西囚われの対象が最上階の奥の部屋にいるのは定石だ。その定石を踏んでしまうことになる点でも逆に危険だろう。
そのため、逆に1階にいてもらい、本格的に危ない時には外へ脱出してもらうのだ。
もっともこの配置には、
「私も逃げずに戦います」
あえて前線を希望した彼女の気魄に根負けした部分もある。
「お母さん……どうか、私を護ってください」
そう言って、亡母・葉槻さんの形見の鈴を首に巻き、覚悟を定めた表情をする彼女の姿を見ていると、その希望を却下するのはあまりにもためらわれた。
さて……。
いつしか時は正午を回り、各人が配置についてから7時間余りが過ぎた。
いつもならあっという間のはずの時間が、重苦しくゆっくりと過ぎてゆく。
そして、時計が3時を差した時だった。
玄関のチャイムが、唐突に鳴った。
――ついに来た!
緊迫感が急激に増す中、皐槻ちゃんが玄関前に立ち、僕が厠のテープレコーダーのスイッチを入れる。上でも、雪乃が同じ作業をしてくれているはずだ。
これでただの宅配便だったら気抜けものだったが、どうやらそうはいかなかったらしい。
「どちらさまですか?」
僕たちに囲まれながら、皐槻ちゃんがそう誰何(すいか)するのに、
「おお、フェンリル!!俺だよ、スレイプニルだよ!!助けに来たんだ!!」
若い男の声が返って来た。
間違いない。皐槻ちゃんを襲ったという前世厨の片割れ、「スレイプニル」だ。
「私はそのような名前ではありませんし、あなたのような方は全く存じません。お帰り下さい」
冷たく突き放すように皐槻ちゃんが言う。このような毅然かつ理路整然とした態度が、何よりも撃退には大切なのだ。
「何ということだ、まだ覚醒していないのか……やはりオーディンか、オーディンの影響か!?」
「全く質問の意味が理解出来ませんので、お答えしかねます。ともかく、お引き取り下さい、迷惑です」
「どういうことなのよ、フェンリル!!せっかくこのヨルムンガンドが、この国の秘儀を用いてあなたを覚醒させてあげようとしたのに」
後ろから、今度は若い女の声が響く。これがもう一人の「ヨルムンガンド」だろう。
「おっしゃっている意味が全く分かりません。それに私は桐山皐槻であって、そのような名であったことは一度たりともありません。お引き取り下さい」
「くそう……オーディンめ、彼女を完全に傀儡(くぐつ)にしてしまっているようだな。やむを得ん、実力で助け出すぞ!!」
悔しげにそう叫ぶ「スレイプニル」の声が、襲撃の合図となった。
「お、おい、これやばいんじゃねえの?」
「やっても構わないが、あと知らないからな」
「スレイプニル」の叫び声に、別の男が2人、ためらうような声を上げる。
どうやら突然の宣戦布告に驚いてしまい、腰が引けているらしい。
「やかましい!!お前たちは、俺たちの言うことを聞けばいいんだ!!」
「分かったよ、くそっ……えいっ!!」
その声とともに、ぐわしゃあん、という音が響き、玄関の扉が揺れる。
どうやら、門がないのをいいことに、玄関の扉に体当たりをかましているらしい。
「……誰か、通報を!!」
そう僕たちに向けて皐槻ちゃんがいう間もなく、ほのかサンが電話をかける声が聞こえて来た。
階段上のバリケードの向こうにいて見ているのだろう、実況のように状況を説明している。
「高志、皐槻ちゃん!!今通報したわ!!ただ、今出払っていてなかなか来られそうにないかも知れないって!!」
「くそう、何て間の悪い……高志、これ扉大丈夫か?」
「ああ、こう見えても結構強いよ。男3人じゃ、歪む程度だろう」
「これで時間かせいで、そのまま警察に現逮されると一番いいんだが……」
そんなことを言いながら、皐槻ちゃんをかばうように廊下を後退し、一番奥までたどり着いた時だ。
――どすがしゃああん!!
予想もしなかった位置から、出し抜けに重いものの落ちる音が聞こえて来た。
「えッ」
そこは、風呂場だった。
「おい、何で風呂場!?窓ふさいだはずだったよな!?」
「ああ……って、ま、まさか、換気扇ぶっ壊したのか!?」
「そんな馬鹿な……」
そう言って風呂場を見に行くと、何と僕の予想した通り、換気扇がぶち壊されて浴槽の中に落ち込み、そこの穴から差し込まれた男の手が風呂場の窓にはめた板を外そうとしていた。
「やべえ!!高志、こりゃ突入されるぞ!!」
「分かってる!!……ほのかサン、ほのかサン!!」
そう言って、携帯電話でほのかサンに呼びかける。
『どうなってるの!?』
「敵侵入寸前!!そっちのバリケードを頼む!!」
『分かったわ!!チョコちゃん、雪乃ちゃん、ここもっと固めて……』
その声とともに電話が切れると同時に、今度はがしゃあんと硝子の砕け散る音がした。
そして、がちゃりと鍵を開いて窓を全開にする音が続く。
その間にもこちらは大急ぎで逃げ口のある玄関側へ逃げ出すが、途中で足がもつれて転んだりして進まない。
何とか立ち直った時には、既に風呂場の向こう側に男の影が見えていた。
「………!!」
反射的に、廊下の奥で皐槻ちゃんを背にして護るように僕ら4人が布陣する。
それを見届けたかのように、風呂場の扉が開き、背中に何か袋に入った棍棒のようなものをかついだ中肉中背の男が現れた。
続いて、皐槻ちゃんが「全く似合っていない」とこき下ろした桃色の服を着た女が、その後ろからこそこそと現れる。
「フェンリル、お前は騙されているんだ……!!さあ、行こう」
「だから私はそんな名前ではありません!!第一、こんな不法侵入を平気でするような人間に誰がついて行きますか!!」
皐槻ちゃんがそう叫ぶと、「スレイプニル」はぎっ、と僕たちを睨みつけ、
「オーディンのしもべどもめ……どこまで彼女を捕らえておけば気が済む。かくなる上は……」
そう言ってポケットから何かを取り出す。
そこに鋼の一閃があったのを見抜いた時、ひびきさんが動いた。
がきいん、とあの素材不明の張り扇で、見事にその刃を受け止めたのだ。
得物は、何と匕首(あいくち)。いわゆる「どす」だ。
「何だこいつは、やくざか!?もう北欧も何もあったもんじゃない!!」
てっきりダガー・ナイフでも出るかと思っていた僕は、思わずそう叫んでしまった。
匕首と張り扇は見事にかみ合い、剣戟で言えば鍔競りの状態となっている。
と、その時だ。
「ヨルムンガンド!!ここは俺が何とかする、上のしもべどもを片づけてくれ!!」
「スレイプニル」が、「ヨルムンガンド」に2階突撃の指示を出した。
「しまった……!!」
僕が青くなって言う間もなく、すぐ頭上の2階から、チョコたちの声と「ヨルムンガンド」がバリケードを何とかしようと苦戦している音が聞こえて来た。
「くそっ、このっ、来るなぁーっ!!」
「あうあうあうーっ!!」
「チョコちゃん、これ積み上げて!!」
こっちでは、まだ鍔競り合いが続いている。
そんな中、急に、
「うわぁっ!!」
ほのかサンの悲鳴が響いた。
「ホノカ!!大丈夫!?」
「あうあうあうーっ!!」
続いてチョコと雪乃が叫ぶ。
どうやら、どれくらいかは分からないがほのかサンが危害を加えられたらしい。
絶望的か、と思われた時、
「……ふざけんじゃ、ないわよーっ!!」
ほのかサンの咆哮にも近い叫び声とともに、どたどたどたどたあん、と階段に振動が響いた。
「ぎゃあっ……」
それとともに、鍔競りをする「スレイプニル」の後ろに、「ヨルムンガンド」と顔にあざを作って膝をつくほのかサンが現れた。
どうやら、顔を殴られたほのかサンが、瞬間沸騰してバリケードを乗り越え、「ヨルムンガンド」ごと階段落ちを実行したらしい。
「ほのかサン!!大丈夫か!!」
「……な、なあに、打撲よ、打撲。この女に殴られた顔の方がよほど痛いわ」
そう言って立ち上がるが、よろよろと数歩歩いたきり膝をついてしまった。
一方、「ヨルムンガンド」の方は衝撃から失神でも起こしたのか、もぞもぞとうごめいた後、荒い息を立てながらのびてしまった。
仲間が完全に倒されたことを知った「スレイプニル」は、急に匕首を引いてひびきさんから離れ、背中の袋から何かを抜き出す。
今度は、何と抜き身の日本刀だった。
これには、さすがに僕たちも驚いた。まさかこんな殺人事件でしか登場しないような得物が出て来るとは夢にも思わなかったからだ。
「このっ、去れ、去れ、去れ!!しもべどもぉおおおっ!!」
「スレイプニル」はそう狂ったような雄叫びを上げると、狭い廊下で日本刀を振り回し始めた。
ひびきさんが張り扇で受け止めようとするが、太刀筋が滅茶苦茶で受け止められない。それどころか、
「きゃあっ!!いっ、痛つつ……」
右手のひじに切っ先が接触し、血を流しながら張り扇を取り落としてしまった。
「ひびき!!」
あわてておねーさんがどこからともなく杖を取り出して刀を受け止めるが、体勢が悪く、
「うわ、きゃっ……」
杖を外れた切っ先がおねーさんの服の胸辺りを切り裂く。
幸い切っ先は薄く皮を裂いた程度だったようだが、場所が場所だけに、おねーさんは立ち上がることが出来ずうずくまってしまった。
強力な兇器の登場で、一気に2人が戦闘不能となったことに、さすがの僕たちも青くなった。
僕が張り扇を、雄太がおねーさんの杖を持って立ち向かうが、相手の立ち位置が有利すぎる上、皐槻ちゃんを護るために一斉攻撃出来ないので、勝負にならない。
そうしているうちに、雄太が刀を受け損ね、指の股を斬られて血を噴いた。
残った僕は、ままよと張り扇で相手に斬りかかるが、その瞬間、膝に激しい痛みを覚えて崩れ落ちた。
膝を触ると、ぬるりとしたものがつく。
「くそっ……よりによって、膝かよっ……」
膝は急所でこそないが、ここを傷つければ人間を戦闘不能に陥らせるには充分だ。
時代小説で見るような光景だけど、まさか自分がその目に遭うとは……。
「くそっ、くそっ……」
立とうとするけれど、立つことが出来ない。
皐槻ちゃんが動いたのは、その時だった。
「おお、フェンリル!!ついに覚醒したのか!!」
そう言って喜ぶ「スレイプニル」の発言を、無視して彼女はゆっくりと進む。
「皐槻ちゃん、駄目だ、そいつは危険だ……!!」
僕が止めるが、彼女は歩みを止めようとしない。
と、皐槻ちゃんと「スレイプニル」の間があと少しに迫った時、
「フェ、フェンリ、ル……?」
急に「スレイプニル」が戸惑ったような声になった。
日本刀が、がしゃりと音を立てて落ちる。
よく分からないが、何か想定外のことがあったらしい。
「お、お前、まだやつの支配に……」
そう言う「スレイプニル」に、皐槻ちゃんはあくまで無言、無表情でずんずんと迫って行く。
迫る皐槻ちゃんと、それにつれて後退する「スレイプニル」。
その画がしばらく続いた後、ついに我慢の糸が切れたのか、
「お、お前、お前なんかフェンリルじゃねえっ!!」
一度懐にしまい込んだ匕首を、いきなり払うように引き抜く。
切っ先が皐槻ちゃんの左手に触れ、血が噴出するが、構わず彼女は迫って行く。
その尋常でない姿に、「スレイプニル」が、
「よ、寄るな、寄るなあーっ!!」
パニックになるのに構わず、皐槻ちゃんは無言で匕首の鎬(しのぎ、棟と刀身の間)を素晴らしい勢いで横ざまに払いのけた。
びしいん、とすさまじい音が響き、匕首が「スレイプニル」の手から抜け、壁にはね返るようにして床に落ちる。
そしてそのまま彼女は、それを拾おうと相手が前かがみになったのを待っていたとばかりに、一気に躰を低めてその懐に飛び込んで行ったものだ。
次の瞬間そこにあったのは、
「むうん……」
鳩尾を皐槻ちゃんの肘鉄にやられ、胃液を口角にたばしらせた「スレイプニル」の姿であった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
ゆっくりと躰を持ち上げ、皐槻ちゃんが立ち上がった時、玄関の方からパトカーのサイレンが響いて来た。
「よかった、警察だ!!誰か、玄関開けて!!」
チャイムが鳴り、警察官がどっと入って来る。
「大丈夫ですかーっ!?」
「奥の人たち、けがの程度はどうけ!?」
どこかで合流したのだろう、横手さんの声も聞こえて来た。
「全員斬られて流血してます!!あ、犯人はそこでのびてる女と、そこの壁際で座り込んでる男です!!」
「よし、分かったちゃ。救急隊が今行きますさかい、待っててくたはれ!!……おい、何やっとるちゃ、逮捕ちゃ」
「はっ、警部!!……15時10分、住居侵入の容疑により現行犯逮捕!!」
がちゃり、と手錠がはめられる音がする。
続いて救急隊の人たちを先導するように横手さんがこちらへ走って来ると、
「こっちもちゃ!!……15時12分、住居侵入、傷害および銃刀法違反の容疑により現行犯逮捕ちゃ!!」
一気にがちゃん、と「スレイプニル」に手錠をはめる。
「警部さん、こちらの被疑者も打撲傷を負っているので、被害者と別の救急車で運びます」
「ああ、そうしてくたはれ……こら、立たんか!!」
横手さんに引きずり起こされ、「スレイプニル」が移動し始めるのと同時に、僕らも救急隊の人たちと一緒に玄関へ動き始めた。
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