※このSSは、Purple software(パープルソフトウェア)のPCゲーム「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」及び同ソフトのファンディスク「はぴぶりファンディスク」を基としています。
※両者のねたばれを含みますので、両方とも未プレイの方だけでなく「はぴぶりファンディスク」のみ未プレイの方も充分にご注意ください。
1
「……あれ?」
ある休日の朝、チョコのいつもの「ごはん」連発攻撃を食らった僕は、リビングに降りて来るなり思わず首をかしげた。
いつもなら朝ごはんで賑やかになっているはずの食卓が、誰もお膳に手をつけずにいたからだ。
「どうしたんだい?もう食べてもいいんじゃ……」
うちは朝でも晩でも、必ず家族みんなが揃ってから食べるのが習慣だ。
だからこの状態は誰かを待っているってことなんだろうけど……はて?
と、その時だ。
「……ちょっと、高志。アタシを忘れてもらっちゃ困るんだけど」
ものすごく不機嫌そうな声が背後から聞こえて来た。
「えっ……って、わわっ、ほのかサン!?」
そこに立っていたのは、眉間にしわを寄せたほのかサンだった。
あっ、そういえば……ほのかサンがいなかったんだ!!
「アタシって、そんなに影薄いかしら?」
僕の驚き顔に自分が忘れられていたことを察したのか、ほのかサンの表情がさらに険しくなる。
「いや、そ、そういうことじゃなくて……いつもほのかサン、早起きだからさ。いるもんだと思い込んじゃったんだよ……」
しどろもどろに言いわけする僕。
その僕にほのかサンはちらりと一瞥をくれると、
「ふうん……まあ、そういうことにしときましょ。それに、いつもより寝坊したのは事実だしね」
そう言って僕の横を通り過ぎ、
「ごめんね、みんな」
簡潔に謝りながら席に着く。
「あ……いえ、いいんですよ。寝坊くらい誰にでもあることですし」
「そ、そうだよ。ホノカ、昨日は遅くまで本読んでたし、しょうがないと思うよ……」
何だかほのかサンの不機嫌さに気圧(けお)されたのか、いつもなら文句を言い出すチョコが珍しくフォローの方に回っている。
それに対しほのかサンは、
「ありがとう。まあ、それもそうよね」
口でそうは言うものの、やはりどことなく機嫌がよくない。
「い、いただきます」
そして、その雰囲気に引きずられるように、ぎこちなくみんなの声が食卓に響いたのだった。
(どうしたんだろうなあ……)
それから数時間が経った午時。
僕は部屋でベッドに寝っ転がり、頭を悩ませていた。
(何か最近のほのかサン、変なんだよな)
このことだ。
今朝のこともそうだけど、何だか最近のほのかサンはいらいらしていることが多くなった。
もっとも、元々が怒りっぽい気質(たち)の彼女だから、いらいらしていること自体は全然不思議じゃない。
不思議じゃないんだけど……。
(ほのかサンにしちゃ、随分はっきりしないよなあ)
これがどうにも不自然なのだ。
ほのかサンはとにかくきっぱりした性格だ。だから、怒る時は一気に怒るし、いらつく時もそんなに長くは引きずらない。
だからある意味原因を特定しやすくもある。……鎮めるのが簡単かどうかは別にして。
だけど今度はそうじゃない。何日も何日もいらいらしていて、正直なところ何と対処していいのか考えあぐねてしまう。
同室のチョコにそれとなく訊いてみたところ、
「ホノカが?……そういえば、そんな感じもするね」
要領を得ない答えが返って来た。
「そんな感じも……って、チョコ、そりゃどういう意味だい」
「うーん、何て言うのかな。タカシはただ『いらいらしてる』って言うけど、ボクには何か違うような気がするんだよね」
ますます要領を得ない。
「……要は、単純ないらいらじゃない、ってことかい?」
「そうだねー……もしかすると、いらいらしているって見方自体が違うかも。……じゃ、ボクはちょっと本屋行って来るから」
そう言うと、チョコは下へ下りて行ってしまった。
結局、その場には分からずじまいの僕が取り残されることになった。
その不首尾に憮然となりながら、今こうして天井を眺めてるってわけだ。
(女心は分からない……で済ましちゃいけないよなあ、これは。なにがしかの原因があると思うんだけど)
しかし、いくら考えても分からない。思い当たるとしたら今朝のことくらいだけど、それより前から続いているんだからどう転んでも原因じゃない。
(ああ、やめやめ。煮詰まるだけだよ)
結局僕がたどり着いた結論はそれだった。下手に分からないことを一人でこねくり回してたって、出口が逆に見えなくなるだけだ。
(……とりあえず、皐槻ちゃんにも訊いてみるかな)
そう思った僕は、ベッドから起き上がると厨房へ向かう。
この時間だと、昼食の準備で確かいるはずだ。
と、階段を下りきった時だ。
「あ……」
思いっきり、厨房から出て来たほのかサンと鉢合わせしてしまった。
また不機嫌な顔をされるかと思って内心びくついたけど、意外にもほのかサンは、
「ああ、ちょうどよかった。高志かお父さんの蔵書で、『唐詩選』関係の本ってある?」
いつもの調子で淡々と話しかけて来る。
「あ、ああ……うーん、僕は押し入れから出して来ないとないなあ。父さんだと……あのお風呂場の前の納戸の入ったところの右手に、中国文学や中国史関係の本ばかり集まった本棚が一棹あるから、そこ見るといいよ」
そんなほのかサンの様子に逆に驚きながらも、親切に教える僕。
「そう、ありがとう」
そう短く言い残すと、ほのかサンは僕と入れ替わりに廊下を奥へ入って行った。
その後ろ姿に首をかしげつつ僕が厨房に入ると、そこでは皐槻ちゃんが昼食の準備をしているところだった。
「あ……高志さん、どうかしました?」
「いや、ちょっとね……って雪乃はともかく、チョコも手伝ってるのかい」
「ええ。何せスパゲッティなので……3人くらいいないと。それに、チョコさんに『料理を教えて』と言われてますしね」
「あ、そういえば……最近チョコ、料理に目覚めたって言ってたもんな」
そうなのだ。うちに来てからずっと食べる専門だったチョコが、皐槻ちゃんの料理のおいしさに自分から作る気になり、こうやって手伝いに出て来るようになった。
ただし「食欲魔人」の性と言うべきか、おかずがいつの間にか減っていたりして、皐槻ちゃんが困ることもあるらしい。
ま、それはともかくとして……。
「そういや、ほのかサン、厨房で何してたんだろう?」
そう僕が訊ねると、皐槻ちゃんは困ったような顔をして、
「ええ……それがですね、手伝いに来てくれたんですよ」
そう答えてみせる。
「手伝い、ったって……もう既に3人もいるのに」
「ええ。さすがにこれ以上人が増えると逆に大変ですから、断ったんですけど……」
そこでふっと言いよどむ皐槻ちゃん。
「断ったけど?」
「『そう……』って、とても残念そうな声で答えて行ってしまって……。何だか、あまりに寂しそうな感じだったので、悪いことした気になってしまって」
「………?何だろう、一体」
「今朝タカシが言ってた通り、やっぱり何だか変だよ、ホノカ」
と、これはチョコ。
「そうですよねえ……かと言って、心当たりもありませんし」
「あうー、あうあう、あううー」
「雪乃さんも『思い当たる節がないです』って」
と、その時だ。
ピンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴った。
「呼び鈴が……行かないと」
「あ、ちょっと待って。今だと、ひびきさんがまだ歩哨してる時間じゃないかな。お湯を沸かしてる最中だし、ひびきさんにまかせた方がいいよ」
「そ、それもそうですね……ひびきさん、しつこい勧誘とか追っ払ってくれますしね」
そう言って、どことなく引きつった笑みを浮かべる皐槻ちゃん。
我が家を守ることを人生の目標に定めたひびきさんは、暇があると庭木に隠れて歩哨をしている。
しかもなぜかばかでかい張り扇を携行して、だ。
そんな押っ取り刀状態で控えているから、セールスとか勧誘には容赦がない。言葉で断って引き下がらないとなると、あの張り扇がどこからか飛び出してくる。
一度など、しつこいことで小泉町や大町界隈で有名だった新興宗教の勧誘を、張り扇で庭木の枝をたたっ切って追い返したこともある。
もっとも枝が切れたのは偶然だったみたいだけど、相手はすっかり萎縮してほうほうの体で逃げて行き、それ以来この地区に近寄らなくなったらしい。
うーん……彼女に守られている限り、滅多なことではうちは危険な目に遭いそうもないなあ。
「琴芝さーん!?……おわ!」
「あ、ご心配なく。失礼いたしました、この家の者です。郵便小包ですね?」
玄関の方から若い男性の短い叫びと、ひびきさんの声が聞こえて来る。これも毎度のやり取りなんだよね。
「とりあえず、受領印を……と、荷物はこれですか?」
「あ、よろしいですよ。壊れ物で少々重いので、玄関までお持ちします」
その声とともに玄関が開かれ、何かが下ろされる音がする。
「ありがとうございましたー」
郵便夫の男性の声とともに玄関が閉められる音が響く。
「あ、ちょっと行って来るよ。何か重いものみたいだし」
そう言って玄関口に出て行くと、果たしてそこにはお歳暮の海苔セットのような扁平な箱とひびきさんの姿があった。
「ひびきさん、誰から?」
「ええと……こちらはお父さまからですね。大連から国際便で来たみたいですよ」
「えっ、父さんから?珍しいなあ」
僕の両親が満洲は大連に海外赴任していることは、以前も話した通りだ(「青空」参照)。
荷物というと、こっちから送ることはよくあるけれど……向こうから来たのは随分久しぶりだ。
「何だろうね、中身……大きさの割に結構重いな」
「あ、ここに書いてありますよ。なになに……"Ye guang bei"って、ピンイン表記(中国語の発音をアルファベットで示したもの)じゃないですか。これじゃ開けるまで分からないですね」
「まあ、昼食が終わった後にでも開けてみよう。僕あてなら僕あてで、そこでどうにかすればいいし」
そういうと僕は、荷物を居間へ運んで行った。
「さてと……はるばる満洲から何を送って来たやら、父さんは」
昼食後。みんなが憩う居間で、僕は件の荷物に手をかけた。
「食べ物かな?」
と、これはチョコ。
「いや、食べ物は無理だよ……お茶くらいならまだしも、普通の食べ物を下手に送ると、『検疫』っていう厳しい検査に引っかかって中国を出ることすら出来なくなるからね」
「ふーん、そうなんだあ……」
ちょっと残念そうなチョコをよそに、包装紙をはがす僕。
すると、中から「高志&みなさんへ」と書かれた封筒と、トランクが現れた。
「何だろう?……ええと、開け口はここか」
そう言いながらトランクを開いた瞬間、
「………!?」
声にならないどよめきが辺りに響いた。
無理もない。中に入っていたのは、4対の緑色のグラスだったのだから。
「こ、これって……」
「……いやあ、まいったな。こりゃ満洲どころじゃない、西域からだ」
「どういうことですか?」
皐槻ちゃんの質問に答えたのは、ひびきさんだった。
「もしかしてこれ、夜光杯(やこうはい)ですか?」
「そうみたいだね……手紙の方にも、敦煌の東にある酒泉の街へ行く用事があって、上司の知り合いの人の口利きでいい夜光杯が手に入ったから送る、って書いてあるよ」
「ねえねえ、ヤコウハイって何?」
と、ここでチョコから当然の質問が飛んだ。
「ああ、夜光杯っていうのは、中国の西の方にある酒泉という街の特産品で、緑色の玉(ぎょく)――透明できれいな石のことなんだけどね――を磨いてグラスにしたものだよ。光に透かすととても綺麗なんで珍重されてるんだ」
「えっ……これ、硝子じゃないの!?」
「そうだよ。そうじゃない証拠に……」
そう言うと、僕は厨房から磁石を持ち出して来て、杯に近づけてみせる。
と、その瞬間、磁石がぴたりと杯に張りついた。
「わ、磁石にくっついた!」
「父さんの手紙によると、本物は石に鉄分があるから磁石がこうやってつくんだってさ。これだけでもう硝子じゃないね」
「すごいですね……どれくらい古くからあるものなんですか?」
「少なくとも春秋時代、2500年以上前にはあったでしょうね。伝説では西王母という女神が、周王朝の王・穆王(ぼくおう)に与えたのが最初と言われていますので。穆王だと……確か紀元前10世紀かその辺りですから、それを信じれば3000年前です」
と、これはひびきさん。
「しかし、これは綺麗ですね……ほんとに光に透かすと何とも言えない艶のある緑色が」
「中国なのにグラスってのも不思議だしねー」
「あうー」
「あ、それは敦煌周辺がヨーロッパと交流があったから。これ以外にも、硝子の盃(さかずき)もあったみたいよ。私は魔女だし、西洋(あっち)方面の文化になじんでるから……最初1000年以上も前に中国や日本にも伝わってるって聞いた時は驚いたわねえ」
「うーん、なかなか父さんにしちゃしゃれたもの送って来たなあ。向こうじゃこれで葡萄酒呑むらしいし、今度何かの機会にみんなで使おうか」
「あ、それいいですね。お客様にお出しする時にも喜ばれそうですし」
そんなことを言いながら夜光杯を肴にがやがやと盛り上がる僕たち。
が、その時、ふとほのかサンがさっきから一言も言葉を発していないのに気づいた。
酒好きなほのかサンのこと、こういうものには真っ先に食いつくと思ったのに……。
みんなの邪魔をしないようにそちらを盗み見ると、彼女は夜光杯を手にしたまま、何とも言えない複雑な表情でたたずんでいた。
一応、電燈に透かしたりして見ているけど……何となくみんなに合わせている感じが否めない。
「ほのかサン……?」
思わずそう呼びかけると、ほのかサンははっとなって、
「あ、ごめんごめん。あんまり綺麗なんで見惚れちゃって……」
大あわてで取り繕う。
……嘘ではないと思うけど、それだけじゃない気がする。
と、その時だ。
「あ、いけない。お買い物に行かないと……」
皐槻ちゃんが、時計を見上げてそう言い出した。
「そういやそうだね。じゃ、かたそうか」
僕のその言葉をきっかけに、夜光杯が次々とトランクの中に戻された。
そしてみんなもめいめい自分の用事のために居間を出て行く。
が、出て行こうとして、ほのかサンが何か言いたげな表情でふとこちらを振り向いた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに前に向き直ると、ゆっくりと居間を出て行った。
「………?」
後に残されたのは、今日何度目か知れないほどに首をかしげる僕と、夜光杯のトランクだけだった。
「……随分と、夜光杯に見入っているんですね」
後ろから、にわかに声が聞こえた。
「え、ええっ!?」
驚いて振り向いてみると、そこにはいつの間にかひびきちゃんがいた。
「ま、まあね。綺麗な盃だし、夕陽とかに照らしたらどんな感じかな、と」
あわてて取り繕うアタシに、ひびきちゃんは少しほほえむと、
「隠さなくてもいいんですよ。……ほのかさまがその夜光杯を気にしているのは、これのせいでしょう?」
そう言うと、アタシの横に立ってのどをえへんと鳴らして、
「王翰(おうかん)作、涼州詞」
腹の底から絞り出すような声でそう言った。そして、
葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば 琵琶馬上に催す
酔うて沙場(さじょう)に伏すとも 君笑(わろ)うこと莫(な)かれ
古来征戦 幾人か回(かえ)る
『唐詩選』収録の「涼州詞」を吟じてみせる。
見事なまでの美声、特に転句冒頭の高音の伸びの素晴らしさにアタシが呆然としていると、ひびきちゃんは、
「妙味の葡萄酒を、夜光杯にくんで飲まんとすれば、誰かが酒興に馬上で琵琶をかき鳴らすのが聞こえる。このまま酔うて砂漠の中に倒れてしまったとしても、どうか君よ笑うてくれるな。古から続く戦で、一体幾人の兵が戻って来たというのだ」
淡々と、詩の和訳をつけ加えた。
そんな彼女にアタシはため息をつくと、
「ばれてたか……ひびきちゃんには、かなわないわねえ」
ぽりぽりと盆の窪をかきながらそう答える。
「昨日の夜、『唐詩選』を持って廊下を歩いているところをお見かけしまして……。さらに今日、夜光杯に複雑な表情していらっしゃるのを見て、ああこの詩だな、と」
「何ていうのか……よく勘がはたらくわねえ」
「それで、なぜこの詩がそんなに気になったのですか?よろしかったら、お聞かせくださいませんか」
ひびきちゃんのその言葉に、アタシは隠しても仕方ないと、さっき考えていたことを洗いざらい話した。
「……なるほど。人間になった動機もみなさんに比べると軽いし、寿命が不安定なのに人生どうするべきか、と思っていると」
「うん……それにさ、寿命が不安定か否かにかかわらず、人間なんていつ死ぬか分からないじゃない。それを思うと、自分の存在って何なんだろうな、って。あの『涼州詞』が妙に心の琴線に触れたのも、それなのよね」
「え?」
「ほら、詩自体の切なさもだけど、結句の『古来征戦 幾人か回る』よ。あれ、裏に『私自身も明日の命知れぬ身だというのに』という気持ちがあるって、註釈書に書いてあって……。それ読んだ途端、自分と妙に重なって」
「………」
「ねえ、ひびきちゃん。人間になって長いのを見込んで訊くけど……アタシ、どう生きたらいいのかな?」
アタシがそう訊ねると、ひびきちゃんは、
「……それには、私よりも答えるのにふさわしい方がいらっしゃいますよ」
そう言って、少しアタシから躰を離す。
そこに入って来た人物に、アタシは一瞬息を呑んだ。
「た、高志!?アンタ、今の聞いてたの!?」
そう、そこにいたのは間違いなく高志その人だった。
「うん……買い物から戻って来たら、ほのかサンとひびきさんが話してるのを見かけてさ。悪いとは思ったけど、立ち聞きしちゃったんだ。何だか、捨てておけない話だったんでね」
そう言うと、高志はアタシの方に向き直って、
「ごめん、ほのかサン……そんな悩んでいるのに、気づけなくて」
深ぶかと頭を下げた。
「い、いいのよ……話さなかったアタシもアタシだし」
しどろもどろに言うアタシに、高志は頭を上げると、
「それで、さっきの問いだけどさ。……残念だけど、この問いには答えなんてないよ」
アタシの顔をはっきり見つめながらそう言う。
「えっ!?そ、それって……」
「簡単なことだよ。答えは人によってさまざま、自分で見つけるしかないってことさ」
「………」
「それにさ、さっきの話だと、自分が人間になった理由が緊急避難で、みんなより軽いから引け目を感じてる、って言ってたね。あれはとんだ勘違いだよ」
「………」
「確かにチョコや皐槻ちゃんの理由は重いし、雪乃だってある意味悲願だったんだろう。だけど、チョコは1年近くかけて目的を達成したし、皐槻ちゃんだって僕らと何ヶ月か暮らすうちに自然と目的にたどり着いたと言っていい。雪乃に至っちゃ、現れた時点でもう目的が叶っているじゃないか……」
「………」
「だからさ、最初の目的がどうあれ、みんなもう叶ってしまっているわけだよ。そこから先、どうやって生きて行くかはみんなが自分で道を拓いて行くしかない……つまり、スタートラインはみんな一緒なのさ。僕だって、獣医になるって目的はあるけど、生き方までは定まってないしね」
「………」
「それでも人間は明日の命は知れない、ましてや寿命の不安定な自分じゃ、って言うかも知れない。だけど、だからこそ今を一生懸命生きるんじゃないか。陳腐な言い方だけど、それが一番の方法じゃないのかな」
「………」
「おねーさんにも、以前君たちとの別れが先に来る可能性があるのに耐えられるか、と問われたことがあったんだけど、僕はためらいなく答えたよ、耐えてみせるとね。だからこそ、この『家族』を僕は大切にしたい。みんなで生きていきたいんだよ」
「………」
「だからさ、自分だけ人間になった理由が薄いから生き方悩んでしまうとか、そんな寂しいこと言わないでくれよ。せっかく知り合えたのに、そんなじゃ楽しめるものも楽しめないよ?」
「高志……っ……」
アタシは高志の言葉に、いつの間にか涙があふれるのを感じた。
やっぱりコイツと暮らしていてよかった……そう、心から思う。
「ほら、泣かないで……。気の迷いだと思ってさ、もう忘れようよ」
そう言うと、高志は後ろにあった買い物袋から何か取り出して来た。
「それは……?」
「うん、せっかく夜光杯を買ったからと、葡萄酒を買ったんだよ。そしたら、試供品として酒屋のおじさんがくれたんだ。ちょっと一人で呑むには多いし、さりとてみんなじゃなめる程度しか残らないし……もったいないから、今呑んでしまおうと思ってさ。ほのかサンの快気祝いに」
「快気祝いって、病気じゃないんだから……」
「まあまあ、堅いこと言わないで。今そこから、もう2つ夜光杯持って来るから、一緒に呑もうよ」
そう言うと、高志はトランクから夜光杯を2つ持って来て、ゆっくりと試供品の赤葡萄酒を注ぐ。
「へえ……不思議な色合いねえ。古人が思うところあるのも、分かる気がするわ」
黒みがかった緑と深い赤の表現しがたいコントラストに、アタシはそうつぶやく。
「じゃあ、ほのかサンと、みんなのこれからの人生に幸あらんことを願って……乾杯」
かちん、と硝子とは異なる響きを立てて、夜光杯同士がぶつかり合う。
「ぷはあ……やっぱりお酒はいいわねえ。後でまた、たっぷり呑ませてもらおうかしら」
「おいおい、ほのかサン……呑みすぎはよくないよ」
「大丈夫よ。それに『酔うて沙場に伏すとも君笑うこと莫かれ』。お酒は楽しまなきゃね」
「やれやれ、泣いた鴉……もとい鶴が、もう笑ったよ」
「何だか……いい雰囲気だね。赤ちゃん出来たりしないかな?」
「あうー、あうあう」
「出来ませんよ、チョコさん……。雪乃さんも、そんな心配そうにしないで。こういう時は、出しゃばらないでそっとしておいてあげるのが大人ですよ」
「そうそう。さあ、お邪魔虫は上へ行った、行った」
そう言って、部屋のとばくちにいた皐槻・チョコ・雪乃を、魔女が階段の方へ追いやった。
幻想的な茜色の夕陽の中、3人の夜光杯が夜を呼ぶかのようにきらり、きらりと煌(きら)めいている。
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